うろうろされたら、奥さんは当然眠れないから、毎晩睡眠薬を飲んで眠るようにな
ったそうです。ある朝起きたら、眠っているはずの旦那がいないんだそうです・・・」
「それは徘徊老人じゃない?」
晴山君が口をはさむ。
「そうかも知れないわね?奥さんは『そのうち旦那は帰ってくるわ』と待っていた
が、いつまでたっても帰ってこないんだそうです。そうしたら午後になって警察から
電話が来て、『保護していますから、引取りに来てください』と言われ、駆けつける
と夜中歩き回ったのか、顔中傷だらけだったそうです・・・」
「昼夜逆転は完全に徘徊老人だって・・・元上司のお父さんがそうだったと、聞
いた事があります。正月休みには徘徊しないよう、お父さんの手と自分の手をヒモ
で結んで寝ていたそうです・・・」
「身内はたいへんだよね」
早川はため息をつく。
「それがですねぇ・・・」 大木女史の話にはまだ続きがあるようである。
「私の母によれば、『その友達の奥さんは私に自分の旦那がボケているとは決
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して言わないのよね・・・それが理解できない』と言うんです。旦那さんの生活を毎
日見ていると、身内はその変化に気が付かないのでしょうか?」
独身貴族の大木女史には理解できない様子である。
「それとも、愛する夫が病気だと、口が裂けてもご近所や友達に言いたくないの
かもしれないね」
高橋君が徘徊老人の奥さんの思いを推測する。
「こんな話もあるよ」
今度は晴山君が参戦する。
「これは苫前の親戚の話だけれども、最近奥さんがボケたけれど、旦那は僕ら
と違って、家事をいっさいしない年代なんだ。だから旦那は食事に困って、セーコ
ーマートに毎回弁当を買いに行っているそうだ。毎食既製品ばかりじゃ、身体に
良くないよね。そこで、最近は田舎でも食卓便を配達しているから、親戚はそれに
加入したらと、勧めているよ」
「仕方がないわね・・・食事はそれで解決するとして、洗濯や掃除はどうするの
?」
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大木女史が心配する。
「留萌に娘がいてさ、週に1回掃除と洗濯に通っているようだ」
晴山君が補足する。
「娘さんが近くにいればいいけど、息子は何の役にも立たないからね」
早川が何気なく言う。
「それって先輩に息子がいないからですか?」という晴山君に、
「けっしてそういうわけではないよ・・・そろそろ牛タンを頼もうか?」
と早川がみんなの注意をそらす。
晴山君は、牛タンが焼ける前に、みんなのビールやら日本酒やらウーロン茶を
追加注文する。
「最近は言葉遣いが難しいよね、『ボケ』は差別用語だって言うんだから・・・そ
れに代わる『痴呆』や『認知症』っと言うと直らない難病そのものって感じだよ、『ボ
ケ』の方が程度や巾があって分かりやすいと思うんだが・・・」
早川がしみじみと言う。
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「本当ですよ、この前ブログで調べたら、『痴呆』はれっきとした学術用語だそう
で、行政がかってに『認知症』という言葉を作り上げ、マスコミに広めたから学会
が使わざるをえなくなったと言うんですよ。『痴呆』より『認知症』の方がよほどあい
まいですよね?『認知出来ない症候群』と言うなら分かるけれども・・・」
高橋君が知ったばかりの知識を披露する。
「漫才でもつっこみに対してぼけがあるんだし、絵画や書道でもぼけと言う表現
は絶対必要ですよ・・・人間社会でもあまり白黒はっきりしているより、多少ボケて
いた方が親近感がありますよね、早川先輩?」
晴山君が早川の顔を見る。
「どういう意味だい?」
「その方がまあるく収まるというか・・・」
早川の性格を知っている晴山君がぺろりと舌をだす。
「そういうあんたはボケていないの?65歳以下でもボケている人は若年性認知
症というらしいよ」
笑いながら早川が反撃する。
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