姿勢は竹のようにまっすぐだった。経理部長になっても彼の態度や姿勢は変わら
ず、早川は町内会にとってうってつけの人材と喜んでいた。
(そうか、彼もいよいよ姑と同居するのか?同じ家に女が2人も大変だが、義理
の父親と同居するのもたいへんだな・・・だが、彼は良識人だし、奥さんも明るく陽
気な人だから、きっとうまくいくに違いない・・・われわれの歳になると、どこの家で
も、両親の老後を見なきゃならんか・・・)
と早川はしみじみ感じていた。
早川の両親は健在で今も苫前で暮らしている。近くには三女三根子の嫁ぎ先
があり、この先も長男四郎の住む札幌に出てくる事は考えられないと早川は思っ
ていた。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。早川は結婚して2年目から妻の景子の母
親登志子と同居する羽目になったのである。妻の近藤景子とは留萌高校で知り
合った。彼女は高校を卒業すると留萌信金に勤め、早川が就職したら結婚する
約束をしていた。この事は景子の両親も了解していた。
085
ところが、早川が札幌の北国学園大を卒業し、商事会社北斗トレーディングに
入社して間もなく、留萌市役所に勤めていた景子の父親啓介が心筋梗塞で急に
亡くなったのである。
通夜の後、親族が母親登志子の行く末を心配する。「この先、娘の景子が結婚
して札幌へ行ったら、独り暮らしになるではないか?」との意見に、「登志子はまだ
若いからまだ大丈夫さ・・・それより父親啓介が望んでいた結婚話だから予定通り
結婚させよう」という話が出て、その場は収まった。
早川が勤めてから2年目に2人は結婚し、勤め先の通勤に便利な市電沿いの
北区にある小さなアパートが2人の新居となった。しかし、幸せは長くは続かない、
いつの間にか、景子の母親登志子が、近々留萌の自宅を売り払い、札幌に家を建
てる事になったのである。
「義母さんが札幌に出てくるって?」 早川は景子から話を聞いて驚く。
「そういう事なの・・・」 景子がすまなそうに下を向く。
(やれやれ、一難去ってまた一難か?)
もともと登志子との相性が良くない早川は大きなため息をつく。
086
どうやら、登志子の親族が、「将来どうせいっしょに住むんだから・・・そのうち孫
も生まれるだろうから・・・都会に住むなら・・・早いうちにいっしょになった方が良い
と思うよ」と、独り暮らしの登志子に、娘夫婦との同居をけしかけたようである。生
来勝気で、男勝りの登志子は決めるのも早いが、決めたら柔道一直線である。
義父の一周忌が住むと、早速、登志子は土地探しに札幌へ早速やってきた。早
川はまだ社会へ出たばかりで、土地探しなど考えたこともない。早川は、新聞の
不動産広告を見てあれこれ検討するが、当の分譲地の価格が妥当なのかも検討
がつかない。その時はまだ自動車免許も自家用車も持っていない早川は、公共
の交通機関を利用して、土日に母娘を3箇所も案内するとへとへとになった。
どの土地も帯に短し、たすきに長しで、決めかねた義母はいったんは留萌へ帰
る。そして1週間後に再び札幌へ出て来た。どうやら、遠い親戚が住む東区で近
々分譲が始まるらしい。その分譲地は造成したばかりで、黒土の下の赤い土がま
だ生々しく見えていた。結局、小学校や商店や病院や市営バスターミナルが近く
にあり、「住みやすそうだ」と義母はここを買う事に決めた。近くに遠い親戚がいる
ことも大きな要因となった。
087
絵心があり器用な早川は早速新居の間取りを考える。早川は、下は居間と義母
の部屋、そして水周り、2階は夫婦の寝室とこれから生まれるだろう子供部屋を市
販のグラフ用紙に書き込み、母娘の了解を得る。そして、いよいよ建築工事が始ま
る。早川は初めて経験する棟上式の拍手の打ち方も知らない。早川は土曜日・日
曜日の他、勤めが早く終われば出来る限り建築現場に通い、自分の作った間取り
が立体的になっていくのを楽しく見ていた。
完成すると、引越しが始まる。義母が持って来た家具、自分達が持って来た家
具をそれぞれの部屋に納め、ご近所に挨拶をする。そして落ち着く間もなく、足りな
い家具やカーテン、茶碗などを買いに走る。ここまでは一瀉千里で、早川も景子も
義母の登志子も無我夢中だった。
さて、義母と実際に同居してみると、神経の細かい早川には気を遣う事ばかりだ
った。まず、洗面所・トイレ・風呂のそれぞれの使用時間である。お互いに認識して
いないとたいへん気まずい事になる。
いちばん困るのは、夜の帰宅である。酒を飲んで午前様になる時には、神経質
088
![]() ![]() |
![]() |
|
|||||||||||