夏祭りがうまく進むよう、何かあればその都度指示を出すのが仕事でしょう?そ
れを自ら花火を打ち上げたり、盆踊り司会のマイクを取り合ったりしている事自体、
組織として機能していない証拠ですよ・・・」 と早川が言う。
「上に立つものは他人を動かして、管理するのが仕事さ、あれじゃあ一介の職人
と同じだ」 久井理事が付け加える。
「何だ?宮城会長の話か?」
そこへ古谷公園管理部副部長が大声を上げて寄ってくる。彼の年齢は78歳、
町内会役員を15年以上やっているという。顔はしわくちゃだが、心身ともに健康で
腰が軽い。自家用の商業車を乗り回し、ちょいとした荷物の搬送なら誰の頼みでも
気軽に引き受ける。そういう手軽さが特に女性の役員に好かれ、誰からも重宝され
ている。
「そうです。花火の線引きで、宮城会長と坂本総務部長の意見が合わず、もめ
ていたのさ」 早川が経過を話して聞かせる。
「そうだろう、宮城会長は頑固で、他人の話を聞かないんだよ」
061
町内会役員を長い事やっている古谷には会長も糞もない。
「去年の夏祭りだってそうさ・・・俺に何か用事があったのか、突然俺を捕まえて、
『今までどこにいた?これまで何をしていた?』って言うんだよ。俺は『朝からずっと
仕事をしていたでしょ、あんたこそ何をしていたのさ』と切り返すと、『おまえは肝心
な時にいないんだよ』と言いやがんの・・・頭にきてさ、『あんたこそ肝心な時にいな
いんだよ、大事な事を聞こうと思ってもいない。会場係なんだから、ちょろちょろしな
いでさ、受付のテントにどっかりと構えていればいいのに』と言ってやったのさ。とん
でもない野郎さ、早川さん、あの時、あんたも側にいたろう?」
「うん、ひどかったね」 早川が答える。
去年の2人の激しいやり取りは早川も見聞きしていた。
古谷はにこにこ笑って町内会の便利屋を買って出ていたが、町内会役員を15
年もやっていて何の待遇もない、未だに副部長である。口には出さないが内心忸
怩たる物があるのかもしれない。ふだんは物分りの良い好々爺だが、このように理
不尽な扱いをされると爆発することがあった。その分、人間に裏表はない。早川に
とっては信用できる役員の1人だった。
062
早川は若い頃、海援隊の「あんたが大将」が流行っていたのを思い出していた。
早川の職場でも酒を飲むと、決まって昔の自慢話をする上司がいた。それも毎度
である。この歌を初めて聞いた時、自分の上司の顔が浮かんできた。早川はこの
歌の歌詞の面白さとと調子の良い囃しで、すぐに覚えてしまった。
♭ 黙っていればいいものを 酒の席とは言いながら
はじまりましたねあんたの話 色々苦労もあったでしょうが
自慢話が長すぎる 泣かせた女の数ばかり
威張ってみても男の値打ち あがるもんじゃないんです
(あんたが大将) (あんたが大将) (あんたが大将)
(あんたが大将) (あんたが大将)
*この歌詞は4番まであり、4番は掛け声が以下のようにダブル。
(あんたが大将) (あんたが女王) (あんたが会長) (あんたが座長)
(あんたが一番) (あんたが社長) (あんたが棟梁) (えらい) (えらい)
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(えらい) (えらい) (あんたが大将)
作詞:武田鉄矢 作曲:中牟田俊男
この4番の最後の囃子が、どの職種の上司にでも合うから、全国の使用人に流
行ったのかもしれない。
九州出身のフォークグループ「海援隊」は1973年に発売した「母にささげるバラ
ード」でようやく全国区になったが、その後はしばらく低迷していた。しかし、1977
年の「あんたが大将」がしばらく振りにヒットして再び脚光を浴びた。
この頃、1973年に第一次石油ショックに見舞われた日本は、狂乱物価を経験し、
翌年には戦後初めて−1.2%という経済成長を経験した。ロッキード事件、赤軍
派の日航機ハイジャック事件、などが勃発し、何かと落ち着かない時代であった。
こんな歌が流行ったののには、こういった時代背景があり、サラリーマンに鬱屈す
るものがあったのではないとも考えられる。
しかし、よく聴くと実に皮肉っぽい歌である。一方で大将と持ち上げながら、裏で
は皮肉っているのだ。いくら面白いとは言え、カラオケの席にそれらしき上司が同
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