宮城会長は誰をおもんぱかってか、通り一遍の就任挨拶をして、平成23年度の
定期総会は終わった。
出席した町内会員がいっせいに腰を挙げ、出口へと向かう。玄関に続く狭くて
短い廊下には靴に履き替える順番待ちの列が延々と連なる。そして、午後4時半
頃、最後の会員を送り出して早川達が大広間に戻ると、会場はすでに第1回理事
会の準備が始まり、テーブルと椅子のレイアウトが変わっていた。
第1回理事会とは言っても通常の理事会の配置ではない、打ち上げを兼ねた、
新旧理事の顔合わせが主体の理事会で、飲み食いがしやすいように、テーブルを
連ねた島が八つほど出来ていた。
女性理事が、自ら手配し盛り付けたオードブル皿(干物・ピーナッツ・柿の種・天
ぷらかまぼこ・漬け物など)、紙の取り皿、紙コップ、おしぼり、箸、ビール瓶、一升
瓶、栓抜きをテーブルの上に手際よく並べていく。
(頃は良し)と見た先田総務副部長が、後方で立ちながら待機している理事達に
マイクを使って呼びかける。
「お待たせしました、退任される理事と新任の理事はこちらの方へお越しくださ
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い。留任される理事はお好きなテーブルにお座りください」
理事達がぞろぞろと移動する。中ほどの後方のテーブルには、早川分会長を始
めとして、タコ坊主こと久井理事、同じ分会の小宮理事、杉村分会長、河西分会長
など酒飲みが自然と集まっていた。唯一の例外は酒の弱い高木分会長が混じって
いたことである。
ざわめきの中、先田副部長がふたたびマイクを取り上げる。
「それでは、新旧理事の顔合わせ会を始めます。新旧理事をご紹介します。こ
のたび退任される理事さんは、○○さん、○○さん・・・新しい理事さんは、○○さ
ん、○○さんです」
その中に川崎分会長の名前があった。
「あれ?川崎分会長も辞めるの?」
早川は耳を疑った。
これまで15年以上役員をしているという川崎老人は、年の頃なら80歳前後か、
中肉中背で心身ともに健康である。前は会社の役員か何かやっていたのだろう
か、未だに自宅で日刊新聞を5紙購読し、隅から隅まで読むのが日課と聞いてい
る。白髪に白い眉毛で、まるで能の舞台に出てくる翁のようである。理事会では
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めったな事では発言しないが、執行部の方向が常識には反するようになれば、糾
弾するでもなく、叱りつけるでもなく、諭すでもなく、こんこんと物の道理を説く。そ
の物腰は決して威張らず、怒らず、驕らず、仙人のように達観していた。
早川はいつも敬服していた。
(わが町内会にもこんな素晴らしい人格者がいる。まるで掃き溜めに鶴だ。辞め
られるには誠に惜しい人だ)
と、早川が思っているうちに、新旧理事の挨拶が一通り終わっていた。
「ありがとうございました、みなさん、それではこちらの方にお座りください」
と先田副部長は新旧理事を舞台に向かって左手のテーブルに誘導する。
「それでは、宮城会長から乾杯の音頭をお願いします」
紙コップを持った宮城会長が会場を見回し、
「えー、退任される理事さん、長い間ご苦労様でした。えー、また、新任された理
事さんにはこれからよろしくお願いします・・・えー、それではここにお集まりのみな
さんのご健勝を祈念して、えー、乾杯 ! 」
宮城会長がコップを掲げる。
「乾杯 ! 」 待たされていらいらしている理事達がいっせいに唱和し、紙コップに
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口をつける間もなく、がたがたと音を立てて着席する。そして会場は一瞬にして私
語が始まる。
「去る人も入る人もご苦労さんだよ、まったく」
久井理事が呟く。
「残る人もご苦労さんさ」
高木分会長が続ける、自分への思いもある。
「そのとおり」
早川も相槌を打つ。そして周りを見回すと、新三役がそれぞれビール瓶を持って
各テーブルを回り、ビールをついで歩いている。テーブルの理事達はおしゃべりした
り、オードブルに手をつけたり、ビールから日本酒に替えたり、ジュースからコーラに
換えたり、まことに忙しい。
しばらくすると、「今の町内会は昔の集団就職を見習えってんだ」
いつの間にかビールから日本酒に替えて、ゆでダコのように赤い顔になってい
た久井理事が大声を出す。
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