「この絵、良いなあ、猫がいっぱいいて・・・・・・こんなに大きくなくても良いから私
も1枚欲しいなあ?私の部屋に飾りたいの。これなら本物の猫じゃないからお母さ
んも怒らないわ、北山さん、1枚いただけませんか?」
麻耶が北山にお願いする。
「私も1枚欲しいなあ、素敵だもの。可愛くて、格好よくて、そこいらに絶対売ってい
ないもの。これは絶対若い人たちに受けるわよ」
ポスターやイラストに五月蝿い由香も北山にお願いする。
「小さいサイズねえ?ちょっと考えてみるよ・・・・・・」
北山はまた何かを思いついたようであった。
「何だ、これは?猫の仏様ががたくさん描かれているよ」
それから2日後の月曜日、出勤前に朝日のあたる家でまり子のコーヒーを飲むの
が日課となった金森支配人が店に入り右壁の曼荼羅を見て驚く。
「なんと仏眼曼荼羅(ぶつげんまんだら)じゃないか?」
いつの間にか神田も顔を出す。神田はお寺や仏像に興味があり、かなりの知識を
持っている。神田が金森支配人に向って、密教の仏画、曼荼羅について薀蓄(うん
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ちく)を披露する。
「そうなんですか?曼荼羅はこれまでテレビや本で見てきれいだとしか思っていな
かったんですが、そういう深い意味があったんですね・・・・・・ところで、まりちゃん、
この絵はどうしたの?」
「一昨日、北山先輩がふらっと現れて、この絵を持って来てくれたんですよ。開店
の日サンを見てひらめいたんだって」
まり子がコーヒーを差し出す。
「仏様を猫に変えて描くなんて、北山先輩らしい洒落たアイデアだな。それにして
も素晴らしい出来映えだ」
神田が感心する。
「ちょうど、麻耶さんと由香さんが店に来ていたんですよ。神田さんから開店のメー
ルをもらったって・・・・・・この絵を見たら2人ともとても気に入って、小さくても良いか
ら1枚分けて欲しいって、北山先輩に頼んでいたわ」
まり子がその時の様子を2人に語って聞かせる。この時神田の眼が輝やく。
「番頭さん、これだよ、これ。我々が捜し求めていたのは、みがき猫でもない、また
ぎ猫でもない、猫曼荼羅だ。これを土産物にするんだ」
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「猫曼荼羅が土産物に?」
金森支配人がようやく気付く。
「そうさ、朝日のあたる家のマスコットはサンで、土産物は猫曼荼羅さ、これは当た
るよ。そうだ、猫じゃら工房で北山先輩から版権を買い取って、大中小のサイズの猫
曼荼羅を作るんだ。そしてこの店だけで売るんだ。ポスターのように丸めると持ち帰
りやすいからね」
「それは良いアイデアだ」
金森支配人が大きな声を上げる。
「小人どもが集まって、何を騒いでいるんだ?」
その時、怖い顔をした木枯社長が店に入って来た。木枯の眼に可愛い子猫サンが
映る。
「おっ」
木枯はすぐに相好を崩す。神田はこれはチャンスとばかり、北山が描いた壁の猫
曼荼羅を見せ、猫じゃら工房独占発売の趣旨を語って聞かせる。
「そんなにうまい具合に行くかな?」
木枯は疑わしそうに神田を見やる。
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「麻耶ちゃんや由香ちゃんもお気に入りだそうだから、きっとうまく行きますよ。社長
にはご利益のあるように原寸大の絵を額縁に入れてお宅にお届けします」
この手の人間は贈り物に弱い。神田の一言で木枯はころりとまいる。
「そうか、分った。お前の話では曼荼羅は無病息災の効能があるんだろう?だった
ら、絵の下に『大願成就』と言う文字を加え、その下を空白にしておくんだ」
「どうして?」
「買った人がそこに願い事を書き込めるようにさ。そうしたら、もっと売れるよ、衆議
院議員選挙も近いし・・・・・・お前らは一ひねり足りないんだよ」
「なるほどねぇ」
みんなは木枯の年の功に感心する。
巷間では、衆議院選挙がいつ行われるか話題となっていた。安倍元首相、福田
前首相がともに約1年間で政権を投げ出し、後任の麻生首相も誤読や失言を繰り
返し、自公政権への信頼が大きく揺らいでいた。株価の低迷、失業の増大、消費の
減退、年金問題、老齢者介護などなど、国民の不満は高まるばかりであった。
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