「こないだの仮装大会ですよ、みなさん大変だったそうですね?」
お盆を持ったまま半井嬢が答える。
「そりゃ大変だったよ、神田、仮装大会は来年はもうやらんぞ」
何を思い出したのか、木枯社長の機嫌が急に悪くなった。
「社長、何を言ってるんですか?新卒仮装大会の言い出しっぺはあんたじゃないで
すか?」
「そうだよ」
「どうしたんです?審査員席で真剣な顔をしていたんじゃないですか?」
神田は審査員席の澄ました木枯の顔を思い出すと笑い出しそうになった。
「俺はいつでも真剣さ、だけど出し物がさっぱり分らんよ。スパイダーマンならまだ分
るが、カリビアンだとかポッターだとか、リボーンとかソラとかまったく分らん」
木枯社長の仮装大会は、ターザンだとか、キングコングだとか、野球選手や相撲
取りをイメージしていたらしい。
「みんな映画やアニメの人気キャラクターですよ、みなさん喜んで参加していました
よ」
半井嬢が口を挿む。
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「今の学生があんなものに喜ぶなんて、理解出来ないよ、あんなわけの分らないも
のが流行るなんて世の中狂っているよ」
「社長、ちょっと飛躍し過ぎじゃないですか?」
神田がたしなめる。
「五月蝿い、何が飛躍し過ぎだ、だいたい元はと言えば今の政府がなってないんだ、
イージス艦事故だって、日銀総裁人事だって、ガソリン税の暫定税率だって、福田内
閣は何をやっているんだ。だから、内閣支持率が24%に下がるんだ」
木枯はどんどんエスカレートする。
(今日の社長は変だな、夫婦喧嘩でもしたのかな?)
と神田は思いつつも、木枯の言動にストレートに反応した自分を苦々しく思い、半井
嬢に用事を言いつける。
「半井さん、社長にお茶を持ってきて」
「はい、ただいまお持ちします」
半井嬢はこの時とばかりにそそくさと戻って行く。
「あの娘は本当に良い娘だ」
木枯社長は瞬間湯沸かし器だが、冷めるのも速い。木枯は神田の機嫌をとるべく
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同意を求めるが、むっと来ている神田はパソコンに向ったまま返事をしない。
神田は「猫じゃら小路キャンドルナイト2008」の趣意書を作成していた。4月10日
に開催される猫じゃら小路商店街振興組合の臨時理事会でこのイベントが提案され
る事になっていた。
猫じゃら工房の事務所はしばらく沈黙が支配していた。
木枯が突然沈黙を破る。
「高木まり子が今日で春北商会を辞めるって」
木枯は椅子に座ったまま誰に言うともなくぽつんと話す。
思わず神田はパソコンの手を止めて木枯の顔を見る。高木まり子は神田の同期生
である。この話題では神田も参戦しないわけにはいかない。
「本当ですか?」
「うん、まり子も黙って勤めていればよいものを・・・・・・」
木枯は窓の向こうを見ている。
「辞めてどうするんですか?」
「当分国家公務員だろうが、その先は俺も知らない」
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国家公務員とは失業保険をもらう事である。神田は得心が行かない。まり子とは春
北商会の同期だが、2つ下だから57歳で、後3年すると定年になるはずだ。
「お前、今度ろうそく祭りをやるんだろ?」
木枯が振り向いて神田の顔を見る。
「ろうそく祭りじゃなくて、キャンドルナイトですよ」
「そうそう、そのキャンドルナイト、その実施前に手作りろうそく教室をやるんだろう?
その手伝いにまり子を使ったら?」
「もう新撰組の三鉢麻耶ちゃんや鈴木由香ちゃん達に手伝いを頼んだから人手は間
に合いますよ」
「そうか?」 木枯は残念そうである。
(何で木枯は高木まり子にそんなに肩入れするんだ?)
神田は不審に思った。
4月10日の臨時理事会では、神田の説明した「猫じゃら小路キャンドルナイト20
08」がさしたる反対もなく了承された。
一部、開催場所を巡ってそれぞれの商店の思惑から駆け引きがあったが、中心部
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