「中学生の女の子なんて、俺知らないよ」
神田は転職の際のごたごたで1月に蕎麦屋「川福」で中学生の女の子に出会った
事をすっかり忘れていた。
「あなたの子供にしては小さ過ぎるし、孫なら大き過ぎるし・・・・・・援助交際ならそ
のうち暴力団がやって来て長崎市長みたいにズドンかも、もしそうならうちの立川社
長に教えてやらなきゃ」
社会に出たばかりの半井嬢は大人の世界に興味津々である。神田が正式には
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蓮華堂不動産から給料をもらっている事も知っている。
「おいおい、それは穏やかではないな、それはないよ・・・・・・それで用件は何だっ
た?」
「『今日はいないよ』って言うと、『そのうちまた来ます』って帰って行ったのよ・・・・・・
何だか変だわね」
お盆を胸に抱えたまま半井さんはなおも食い下がる。
「用があればまた来るよ」
と、神田は取り合わない。半井さんは頭を右に傾げて戻っていった。
「おっ、真面目にやっているな」
ちょび髭の木枯社長がやって来た。4月とは言え北国さっぽろはまだ寒い。黄土
色のバーバリーコートを脱ぎながら席につく。今日のいでたちはモスグリーンの背広
にピンクのカラーシャツである。
木枯社長の出社は月曜日と木曜日で、気の向いた時間に顔を出す。後の日は囲
碁、カラオケ、社交ダンスと忙しい。
「おはようございます、今、猫じゃら小路の歴史を調べていたところです」
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神田はパソコンでさっぽろ市商店街振興組合連合会のホームページを見ていた。
そこには各商店街ごとに歴史が紹介されていた。
「おはようございます」
そこへ半井嬢がお茶を持ってやってきた。
「おはよう。おお、気が利くね」
木枯社長がにんまりと笑う。
「お陰様で私も少し慣れてきました」
「そうか、それは良かった。ただしお茶は私が出社した時だけでいいよ」
神田にもお茶が出ているのを見て木枯が言う。
「先輩、それはないっしょ、仕事をしているのは俺なんだから」
神田がむきになって先輩の話に口をはさむ。
「あはは、冗談、冗談」
木枯はそう言って可笑しそうにぐぐっとお茶を飲む。
「ところで、社長、どうして猫じゃら小路なんですか?」
2人のかけあい漫才を見ていた半井嬢が木枯社長に聞く。
「半井さんが知らない?立川のところは新入社員に何を教育しているんだ。困った
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奴だ。常識だよ常識」
木枯社長はこう言って大きく目をむき、ふたたび話し始める。
「それはだね、明治に北海道開拓使がさっぽろに置かれた頃、今の2丁目や3丁目
に商家や飲食店が建ち始めたんだそうだ。その中に大きな倉を持った一軒の米屋が
あったと思いな。米屋には少し智恵遅れの息子がいてね、大人たちが『猫のいるおか
げでネズミの被害が減った』と聞いて、子供心に猫をたくさん集めたら良いと思ったん
だな」 半井嬢は身を乗り出して聞いている。
「子供は猫をたくさん集めようと、身欠きニシンをひもにぶら下げて近所を歩き回っ
た。近所の猫は身欠きニシン欲しさに子供の後をじゃらじゃらついて来る。子供はい
つの間にかそれが面白くなって毎日朝から晩まで『猫じゃら、猫じゃら』とその辺を歩
き回ったらしい。それが人々の噂となり誰が言うともなく 『猫じゃら小路』と言うように
なったんだと・・・・・・」
木枯社長の口調も最後には「日本昔ばなし」風である。
「そうなんだ、何だかしんみりと悲しい話ね・・・・・・・でも今の猫じゃら小路には猫が
一匹もいませんよ」
半井さんが木枯社長の博識に感心しつつ、疑問を呈する。
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