早川はそう考えていた。
年が明けた平成23(2011)年1月7日、午後5時から東山町内会の新年交礼
会が町内会館の大ホールで開かれていた。
新年交礼会は、君が代斉唱、市民憲章朗読、東町まちづくりセンター所長など
の来賓祝辞が終わり、祝宴に入っていた。会議用テーブルには仕出屋のオード
ブルとちらし寿司の折が並んでいる。
例によって、早川や久井など酒飲みが自然と集まって島を作っている。
「やあ、先月の理事会はひどかったねぇ?」
いつも真面目に理事会に出席し、熱心に聞きながら一言も発言しない杉野分会
長が突然話し出す。杉野分会長は昨年の4月に役員になったばかりである。年の
頃なら早川より5歳くらい上である。
「ほんと、あんな進め方はひどいですよ」
早川は寡黙な杉野分会長の発言に驚きながら同意する。
「私は新参者で町内会はこんなものかといつも口を挟まないようにしていますが、
ひどもんです。あれじゃあ、小学校の学級会よりまだ悪いね」
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杉村分会長が大きな眼をぎょろりとむいてビールを飲み干す。
(自分と同じ感慨を持っている人が他にもいた)
早川は久しぶりに胸が熱くなるのを感じていた。
「しかしその後がまだひどいや」
向かいの席で2人の会話を聞いていたタコ坊主こと久井理事が会話に参加す
る。タコ坊主の久井はイカの干物を噛みながら話している。
先月の12月8日、役員選考委員会の件でさんざんもめた第9回理事会がまさに
終わろうとする時、坂本総務部長が次のように発言した。
「えーっ、議題は以上ですが、私から提案があります、来月かるた取りを開催した
いと思います」
会場に小さなどよめきが起きる。早川はひな壇に座っている執行部の顔を見回
す。大林会長以外みんなあらぬ方向を見て苦虫をかみつぶしたような顔をしてい
る。
(例によってまた坂本総務部長の独断専行か?この件については理事会の事前
打ち合わせに諮っていないか、却下されたに違いない)
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早川はその雰囲気からして一瞬に経過が読み取れた。しかし、坂本総務部長は
いつものように独演会を始める。
「現在、どこの家庭でも正月になっても家庭でかるた取りが行われておりません。
老いも若きも長い事親しんできたかるた取りがまさに廃ろうとしています。
ご存知のようにかるたは日本古来の伝統的な遊びで、難しい漢字も覚えるし和
歌も覚えられます。何よりも世代を超えて交流が生まれます。一石二鳥というより
一石何鳥もの効果があるものです。
親子の、孫子の会話がないと言われている今の時代、町内会が主催してかるた
取りを普及する事は誠に意義のあるものと思います。
日にちは年が明けた、1月23日の日曜日、大ホールで実施しますので、大勢の
理事さん方の出席をお待ちしています。ここでご賛同を得られれば回覧を1月最
初に回します」
「なんかおかしいんじゃないかい?今更かるた大会をするなんて?」
早川の隣で高木分会長がつぶやく。
「そうだよねぇ?何を考えてんのか?」 早川がうなづく。
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「質問」
例によって黒田分会長がいちばん最初に手を上げる。
「どうぞ」
坂本総務部長がまたかという顔で質問を受け付ける。
「それはそれで良い事だと思うが、果たして子ども達は集まるだろうか?」
「何でもそうですが、やって見なければ分かりません」
「上の句を読むのか、下の句を読むのか、どっちです?」
関西なまりが若干残っている黒田分会長は北海道育ちではないらしい。
「北海道では下の句です」
「なるほど」 黒田分会長は妙なところで感心している。
鎌倉時代藤原定家が編集し、後に「かるた」として親しまれてきた小倉百人一
首は明治時代屯田兵が会津地方から北海道に持ち込んだと言われている。本州
では取り札が紙だが、北海道ではほうの木で出来ている。また北海道では下の句
を読むので「下の句かるた」とも呼ばれている。
「よろしいですか?」
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