翌日、診察を受け眼帯を外し右目を洗浄する。点眼した目薬を拭いて、先生が
拡大鏡を使って手術の跡を覗き込む。
「うん、いいですね」
先生が瞼を開いていた左手を離す。
「どうですか?」
「明るい!」
早川は思わず声を上げる。手術前に占い師の部屋のように薄暗く見えた診察
室はごく普通の明るさであった。
「そうでしょう、今日から1ヵ月間この治療用眼鏡をかけていただきます。当分身
体に負担がかかるような力仕事はしないように・・・・・・明日また来てください」
術後の眼を保護する水色の枠の治療用眼鏡はスポーツ選手がよく着用してい
るゴーグルに似ていた。
「ありがとうございました」
早川はお礼を言って診察室を出るが、明るくて思わず眼がくらみそうになる。多
少すすけて見えた検査室は天井も壁も真っ白であった。また看護士の白衣が眼に
刺さるように白く見えた。
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「これだけ水晶体がすすけていたのか?」
早川は手術の効果に驚いていた。待合室に戻るとカーテンの隙間から漏れる
光がまぶしくて眼を細めるほどであった。
早川は晩酌が長年の習慣で夕方になると決まって酒が飲みたくなる。手術前
に、「先生、晩酌は駄目なのでしょうか?」 と、よほど聞こうかと思ったが、非常識
と思われると思い聞くのを断念した。しかし手術後3日目には入浴と洗髪が許され
たのでそれを口実に晩酌を再開した。だが、それも後3日もすると、左目の手術で
また酒が飲めなくなる。
左目の手術は9月9日に実施されたが、前回のような緊張はなく、あっという間
に終わった。
翌日左目も眼帯が外され、両眼が新しい目になった。
「今回もうまくいきました。いかがですか?」 八木先生が早川に聞く。
「ありがとうございます、本当に良く見えます。しかし・・・・・・」
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早川が言いよどむ。
「どうしました?」
「よく見えますが、色のバランスが変わったような気がします。黄色と藍色が特に
目立ちます」
「そうですか?」
「私はたまに絵を描きますので色のバランスには気を使いますが・・・・・」
「ふうむ」
白内障の手術後にそんな事を言う年寄りはいなかったと見え、先生は返答に窮
していた。
(先生は説明しなかったけれども、人工水晶体は形だけでなく、色によっても見や
すくなるよう、ある特定の色を感じやすくするように作ってあるのかもしれない)
そう思った早川は、
「絵は商売ではありませんので、かまいません。そのうち慣れると思います」
と答える。
「そうですか」 気のせいか先生の顔がほっとしたように見えた。
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早川が八木眼科で診療を終え、南向いの調剤薬局で目薬をもらい外へ出ると、
妻の景子が向かいに来ていた。
「あんた、両目の手術が終わったらよく見えるようになった?」
「うん、素晴らしく明るく見えるよ。ただし、黄色と藍色がひときわ眼に入るんだ。
ちよっと違和感があるけど、そのうち慣れるんだろうね」
「そう?そう言えばあなたが病院にいる間に高木分会長が家に来てくれて、昨日
の理事会の資料を置いて行ったわ。後でお礼を言っておいてね」
「分かった・・・・・・後1ヵ月して水晶体が安定したら眼鏡の作り直しだ。そしてい
よいよ運転免許の更新だ」
早川は両目の手術が終わって心なしか気持ちが弾んでいる。
高木分会長が置いていった9月の理事会の資料を見ると、議題は13日の日曜
日に実施する敬老会の打ち合わせと、先月実施した夏祭りの収支報告、そしてラ
ジオ体操の実施報告であった。
夏祭りの収入は協賛金・寄付金・縁日売り上げを含めて29万円弱、支出が電気
工事代・参加者お土産代他で107万円弱であった。
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