歌えないから歌う前に焼酎のストレートを何杯も飲むしかない。こうして薄野に来
た夜は下手なカラオケに、そして悪いお酒に悪酔いして帰るのが常だった。
スナックやバーの経営者は、映像カラオケの設置でお客が増えたと思ったのも
束の間、逆に客がどんどん減っていった。
その理由は、映像カラオケの普及で複数の団体がこれまでのように同じ店で共
存できないからである。あるグループが歌い始めると、いつまでたってもマイクを
独占して他のグループに渡さないのである。これでは面白くない。
また仮に合席しても、仲間の歌なら下手な歌でも我慢して聞いているが、他の
仲間の下手な歌は聞いていられないのである。仲間なら冷やかす事も出来るが、
他人にはそれも出来ない。
だから、店に入る前にドアを開け先客がいるかどうか確かめるようになる。そし
て先客が歌っていると他の店に流れる。店には常に1組の団体しかいない。その
結果、料金を上げざるを得ない、そしてまた客が遠ざかる。
映像カラオケの設置は経営者の思惑とは逆の結果になった。
093
しかし、今や映像カラオケはパイオニア他商社の努力(?)で諸外国にもかなり
普及している。特に東南アジアはそうである。
早川が平成10(1998)年に大連へ行った時の事である。
現地の会社との商談を終わり、会食した後、事務方の早川達は先方の事務方
の案内で夜の大連に繰り出した。そして中山公園の傍に立つクラッシックな年代
をかんじさせる大連賓館に入る。日本の旧大和ホテルとの事。
後で調べると、、満鉄は鉄道沿線の要所に大和ホテルをいくつも経営していた
という。大連の大和ホテルはなかでも立派で、ここに満鉄の本社も置いていたと
事が判明した。
大理石をふんだんに使った、天井の高いロビーと廊下は造りも豪華で当時の満
鉄の権勢を髣髴とさせる。きょろきょろ周りを見回していると現地の方から1階のカ
ラオケに案内される。
そこに映像カラオケがあったのである。当時の日本からすると型式が古い、大き
な冷蔵庫のようなパイオニアのレーザーカラオケだった。彼らは日本のわれわれ
を歓迎すべくここに案内してくれたのであった。
われわれが驚いていると、
094
「みなさん、どうぞ歌ってください」 と勧めてくれる。
ここまで気を使われると、いくら早川がカラオケが嫌いといっても断るわけにはい
かない。
「それじゃあ、1曲歌いますか?北国の春はありますか?」
との早川の問いに、
「もちろん、あります」 と通訳が答える。
そして画面を見ていると、間もなく日本の東北の風景が映り、中国語のテロップ
が流れる。
早川は、
「みなさん、ごいっしょに!」
と声をかける。
早川は日本語で、現地の方々は中国語で歌う。日中大合唱となる。日ごろ、カラ
オケに悪態をついている早川もこれには感動する。
(旧日本軍と満鉄は中国の満州を蹂躙したはずなのに・・・・・・)
095
早川の胸に熱いものがこみ上げ来る。この時ほどカラオケの効能に感動した事
はなかった。
早川のカラオケ修業というか、苦行は子会社の北斗ソーイングに再就職しても
続いた。歴代の社長がカラオケ好きだったが、カラオケが特に好きだった社長は
会議の後決まって薄野に流れる。そして会食後決まって行きつけのスナックに向
かうのであった。そこには歌を採点するカラオケがあり、歌合戦が何度も続く。
午後11時を過ぎた頃、
(もうそろそろ切り上げませんか?)
という思いで、早川は星影のワルツをリクエストする。そして、
「別れることはつらいけど、仕方がないんだ、きみのため・・・・・・」
と歌っても、酔っ払ってカラオケに夢中な人々には早川の思いが通じない。こん
な事も早川がカラオケを嫌いな理由の一つであった。
096
![]() ![]() |
![]() |
|
|||||||||||