玄関で加藤未亡人を見るなり、早川は米国のミュージカルスターで映画俳優でも
ある目のぱっちりとしたライザ・ミネリを連想する。白いツーピースを着た加藤さんは
早川の想像とは違い小柄ながら立派な肉付きで堂々としていた。
早川は加藤さんを居間に通し分会長の仕事の引継ぎを受けるが、加藤さんは数
々の書類を見せながら要領よく説明していく。
(半年前に旦那を亡くした未亡人とはとても見えない。声も通るし、押し出しも良い。
この女性ならこのまま分会長が務まるのではないか?)
早川は加藤さんの説明を聞きながらそう思った。
「失礼ながら、加藤さんならこのまま分会長をやれそうですね?」
話が一段落した後、早川は思った事を口に出す。
「私は仕事をしていましたから今月末で辞めるつもりでした。それで私の後任の
分会長を探してもらうよう神田さんに相談していました。ところが事情が変わった
のです」
「と言いますと?」 思わず早川は訳を訊ねる。
「今年は役員改選の年なんですが、その選出方法と結果を巡って役員が二分し、
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執行部のやり方に反対する理事が20人も辞めてしまう事になったのです。20人
ともなると全体の約4分の1です。その上さらに私が辞めると『町内会の運営に支
障を来たす』とみなさんに引き止められ、結局私は不本意ながら平理事で残る事
になったのです」
加藤さんは大きな目をさらに開いて話す。
「そうだったんですか?ところで役員の選出方法に問題が?」 早川が訊ねる。
「選考委員の選び方も候補者の選び方も密室で行われガラス張りでないのよ、
それで一部の人達がやり直すよう抗議したのよ。それでも無視され怒った理事達
が辞めてしまったと言う訳・・・・・・」
加藤さんも納得行かない様子である。
「ふうん、そうして選出された方が今度の執行部ですか?そんな中に私が入るの
ですか?気が進まないなぁ」
早川は腰が引けて来る。
加藤さんは早川の心の中を見透かしたかのように、
「男なんですから今さら辞めたとは言わせないわよ」
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と早川の目をにんまりと見る。
「そう言う事になりますか」
早川はしぶしぶ答える。
「あっ、言い忘れましたが町内会の定期総会は4月29日、祝日の午後1時から
です。引き続き新しい顔ぶれによる理事会が開催されますので必ず出席して下さ
い。早川さんの正式な理事就任は定期総会の承認後です」
加藤さんは付け加える。
「理事って?」
町内会に会社のような理事会があると聞いても早川はピンと来ない。
「町内会の役員の事よ、会長・副会長・総務部長を初めとする各部長・平理事・
監事・分会長が町内会の役員なの。月に1回理事会があるわ。それじゃあ今後
ともよろしくね」
「こちらこそ」
早川は引継ぎの終わった加藤さんを送り出しながら、
(そんな面倒な町内会の役員になるのか?)
と憂鬱になってきた。
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「お父さん、お父さん」
階下で妻の景子の呼ぶ声に早川は二日酔いの頭を抱え降りていく。昨日の3月
31日は再就職した子会社の退職日で送別会に出ていたのである。玄関には運送
会社の配達員が立っており紐で縛った大きな印刷物をぶら下げている。
「広報さっぽろの配達員です、今月号をお届けにあがりました。ここに置いてよろ
しいですか?」
ここまで言われても早川は状況が飲み込めなかった。
「は、はい」
「ここに受け取りの判子かサインを」
配達員の配達先一覧表には東山町内会東4A分会210部と書いてある。
「それじゃ、サインを」
「ありがとうございます。不在の時はどこに置いていけば良いでしょう?」
配達員は忙しそうに畳み掛けて来る。
「それじゃあ、その時は物置に置いてってください」
「分りました、後もう一束ありますので持って来ます」
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