きれいな花の写真

忘れえぬ猫たち

デジカメ千夜一夜

かんたん酒の肴

おじさんの料理日記

喜劇「猫じゃら行進曲」



小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

  ゴルフ中はお客さんのプレイを良く見ていなければならないが。いちばん下手で他人
の倍叩く修三にはそんな余裕がない。
  むしろ皆さんから注目され、逆に気を遣われている。修三はこの事をひしひしと感じ、
緊張し、焦ってまた空振りする。
  修三が崖下に落としたボールをフェアウェイに戻そうと必死になって何度も叩いている
と、
 「北山さん、もう良いですから、ボールを持って上がってらっしゃい」
  と、しびれを切らしたお客さんが逆に気を遣ってくれる。どっちが接待しているか分から
なくなる。汗かきの修三の身体から汗が滝のように流れ出る。眼鏡が曇って良く見えな
い。
  終了するといち早く風呂に入って表彰式の準備をしなければ鳴らないが、脱衣場では
汗で濡れた下着が身体に張り付いてなかなか脱げない。修三はますます焦り、カラスの
行水で慌てて風呂を出る。
  くたびれてビールをたくさん飲んでしまいたい気持ちに駆られるが、お客様と役員が帰
るまでそんな事は出来ない。
  役員や幹部社員の中にはゴルフ終了後、事務所に戻り再び勤務する人もいるが、修
三には体力的にそんな余力はない。常に自宅へ帰っていた。自宅への帰路、修三は部
253


下に悪いと思いながらも車の中で眠り込むのが常だった。
  家に帰り身体中膏薬を張る。足の裏表にも張る。血圧の病院で本来腰痛用として貰う
膏薬が瞬く間になくなる。
  その夜は興奮して、疲れ過ぎてほとんど眠れない。ゴルフはこのように修三の生活に
3日間も重大な影響を与えた。
  修三は苫小牧支店から本社に転勤してから血圧が上がった。仕事が変わって忙しく
なったせいもあるが、ゴルフも一つの要因となっていたのかもしれない。

 (これなら運転免許取得の方がまだ良かった)
  修三は40歳になって初めて運転免許を取った時の事を思い出していた。
  この頃、職場では上司の部長と課長の相性が悪く、毎日がごたごたしていた。片方の
意見に合わせると片方が反対した。仕事がまったく進まなかった。
 (しかし、この現状を何とか打破しないと、この自分が駄目になる)
  運転免許でも英会話でも良かったが、修三は結局自動車学校に通う事にした。昭和
59年(1984)年4月、修三が39歳の時の遅すぎる挑戦だった。修三は法規には自信が
あったが、実技では反射神経が鈍く不安を抱えていた。
254


  この頃、就職する高校生は卒業前にほとんどが運転免許を取っていたので、4月に入
るとおばさん達が多かった。若い時お金がなくて取れなかった人、子供に手がかからなく
なって挑戦する人等等である。
  待合室には、
 「とうとう受かった、これでお父さんに怒られずにすむ」というおばさん、
 「どうぞ予想問題が当たりますように」と神様仏様に願かけるおばさん、
 「仮免で心臓がばくばくだわ、どうしょう?」というおばさん、
 「うまくいったのに何で落とされたんだ?」という高校生など、悲喜こもごもである。
  修三は生まれて初めて自動車の運転席に乗り、教官の言うとおり操作すると車がぐ
ぐーっと動いた。
 「動いた」
  修三が感動して声を上げていると、目の前に大きなカーブが迫って来ていた。教官が
大声を上げる。
 「ハンドル、ハンドル」
  教官は身の危険を感じ明らかに不機嫌になっていた。実技では修三は教官に毎回怒
られた。
 「あの先生、もう嫌っ、怒ってばかりいて、もうこんなところ来たくないわ」
255


  修三が待合室に戻ると、おばさんが頭の毛をかきむしり、大声を上げて叫んでいた。
 (そんなに怒らなくても良いのに、初めてだから習いに来ているのに・・・・・・お金を出し
て怒られていりゃ世話ないや)
  仮免が近くなった頃、修三は40歳近くになって年下の教官からあれこれ叱られるの
が苦痛になってきた。毎日路上運転が終ると修三の背中は緊張で汗びっしょりしなって
いた。自動車学校へ通うのがだんだん嫌になってきた。
  職場で修三は思わず後輩の戸田君に愚痴をこぼす。
 「戸田ちゃん、大体ね、あんな狭い場所で教えるから駄目なんだ。最初は暴走してもブ
レーキが間に合うくらいの広い場所で車を走らせるのさ。楽しくなってスピード感が身につ
いてきたら、少しずつ狭い所、曲がる所、傾斜がある所を走らせりれば良いんだ。そうす
れば誰でも運転免許を取るのが楽しくなるよ」
 「先輩ね、土地の値段が高い日本ではそんな広い場所は使えないの、それに短期間
で教えないと学校は儲からないの。受からない人が何回も補習料を払う事で自動車学校
の経営は成り立っているの」
 「初めて車に乗る人が上手に運転出来るはずがないよ。もう少し優しく教えられないの
だろうか?」
256


 「蹴とばしたり、叩かれないだけましさ。俺なんか何回叩かれたか・・・・・・ 昔はひど
かったよ」
  20年前に運転免許を取った戸田君が先輩の修三を慰める。
 (自分が言い出した事だから、今さら頓挫すると会社からも家庭からも笑われる。子供
の手前も投げるわけに行かないか・・・・・・)
  修三は辛抱して仮免を受けた。不合格だった。
 「飛び出して来た猫の避け方か遅い」
  それが不合格の理由だった。運が悪かったとしか言いようがない。だが、法規は一発
で受かった。仮免も表と裏の2回で受かった。本番は手稲の運転免許試験場で行われ
た。修三は緊張して何が何だか分からないままに試験は終了した。修三の背中は汗で
びっしょりと濡れていた。
 「受かったぞ」
  修三は大声を出したい気持ちを押さえて妻や職場の戸田君に電話連絡をした。修三
は会社の後輩と家族の応援でようやく受かったと言って良い。
  せっかちな修三は運転免許を取得する前から戸田君のアドバイスで乗用車を注文し
ていた。納車されたのは合格する1週間前だった。それだけ合格が予定より遅れたと言
257


える。
  だが、車が来て運転免許が取れても、家族は修三の運転を怖がって誰も乗ってくれな
かった。運動神経の鈍い修三の運転だから当然と言えば当然である。何日か1人で乗っ
て無事に帰って来たのを見届けた妻の須賀子は「そろそろ良いか」と哀れんで乗ってくれ
た。他の家族が乗るようになったのは半年も経過してからである。

  その家族の恐れは的中し、修三は何度も車をぶつけた。
  最初の事故は免許を取って初めての冬、年末年始休暇中に起こした。近くの郵便局
に年賀状のバイトに通う高校生の長女美佳を送る途中、一時停止で止まらず出て行っ
て、右から来た車に車の右脇腹をぶつけられた。
 「こういう時は再び事故を起こしやすいから、くれぐれも気をつけて運転して帰りなさい
よ」
  年末年始休みで現場に駆けつけてくれた松尾先輩の忠告にそって、修三は閉まらな
い運転席のドアを右手で押さえながら運転し、すごすごと自宅に帰った。
  運動神経の鈍い修三はその後も度々事故を起こした。相手が悪いのもあったが、修
三が悪かった例が多い。最初に買った車は前後左右傷だらけて満身創痍となった。ま
258

          

タイトルイメージ   タイトルイメージ 本文へジャンプ




第11話 俺ぁこんなゴルフ嫌だその3★★★







































































































































































































































  

前のページへ 次のページへ

トップページへ戻る