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ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

 「秋山さん、課長が『麻雀ぐらい出来なきゃ』と言っていますが、どの程度出来れば良い
のでしょうか?」
 「修ちやん、課長が言うのは人並みにと言う事さ」
 「人並みにって?」
 「勝たなくても良いけど負けない程度にやりなさいって事だよ」
 「そりゃ無理だ、そんな芸当はよほど上手くなきゃ出来ないや・・・・・・」
  昭和42(1967)年6月、この年入社したばかりの北山修三は同じ農業資材課の2年
先輩の秋山さんに麻雀をすべきか否か相談する。修三は農業資材課に配属された時、
麻雀の好きな課長から「サラリーマンは酒と麻雀の付き合いぐらいは出来なきゃ」と言
われていた。
  北国商事鰍ヘ商売がらお客との付き合いが多く、酒と麻雀が重要な手段となってい
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た。幸い修三は学生時代から酒は飲んでいたから、会話は苦手でもそれなりに酒のお
付き合いは出来た。
  しかし、麻雀は学生時代もやっていなかった。麻雀は子供の時、自宅で兄と同僚の先
生方の麻雀を見ており、麻雀には悪い記憶しかなかったからである。ところが就職してみ
ると当時の北国商事鰍ヘ麻雀が盛んで、本社内でも課を跨いでやる事もあれば、一つ
の課の中でもやる事があった。課内でやる習慣がある農業資材課ではそこに参加してい
なければ仕事の情報も入って来ない。
 (麻雀は何とか覚えてなきゃ、人並にはならないとしても・・・・・・)
  修三はそう思った。
  その日の昼休み、早速会社の同期会の仲間に相談する。同期生には学生時代から
麻雀をしていた者がいて、勤務終了後安いレートで特訓を受けた。だが、修三には博打
の才能がないと見え、麻雀のルールや上がり役を覚えたものの、さっぱり上達せず負け
てばかりいた。
  それでも何とか麻雀の付き合いは出来たが、決して「人並みに」は上達せず、麻雀で
はその後約20年間授業料ばかり払う破目になった。

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  昭和40年代、日本経済は高度成長政策の波に乗り、企業の業績も飛躍的に伸張し
ていった。このような時代を反映し、「サラリーマンのたしなみ」も酒と麻雀のほかにカラオ
ケとゴルフが加わった。

  それまでは「ゴルフがシングルになると身上が傾く」と言われていて、経営者はもちろ
んサラリーマンもゴルフをする事がはばかわれていた。
  しかし、企業の収益が増大するに連れ、営業費用の額も拡大し、「ゴルフがなきゃ接
待は出来ない」という風潮が全国的に広がっていった。
  北国商事鰍烽イ多分に漏れなかった。「ゴルフはお酒を飲むより格安でしかもお客に
喜ばれる」とばかりに、これまでの隠れゴルファーが大手を振って歩き始めた。
  入社してから22年間、管理部門ばかりを回ってきた修三はそんな風潮を苦々しく思い
ながらもゴルフをやらなくて済んだ事を感謝していた。
 (あんな小さな球を目の色変えて追って歩いて何が楽しいのさ?)
  ゴルフをやらない(やれない?)修三はそう嘯いていた。昭和の終わり63年には、同期
生の中でゴルフをやらないのは修三ただ一人になっていた。

  平成元(1989)年2月、苫小牧支店次長を命ぜられた修三は着任後、応接室で広田
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支店長と話していた。
 「北山次長、お前ゴルフ道具を買え、まだ餞別が残っているだろう?」
 「広田支店長、私はこれまでゴルフやった事ないですよ、無理ですよ」
 「何言ってるんだ、ここはゴルフ銀座の苫小牧だ。役員もお取引先もどんどんゴルフを
やりに来るに決まっている。地元の次長がやらなくてどうする?」
 「私は運動音痴ですから」
 「あんなもの誰でも出来るようになる」
  小太りで赤ら顔の広田支店長はコメディアンの石井均のように目を大きく剥いて修三を
どやしつけた。

 「北山君、あと体育だけ頑張れば、この中学校創立以来3人目のオール5になれる、ひ
とつ頑張ってみないか?」
 「先生、僕は出来ません」
 「出来ませんってやっても見ないでか?」
 「出来ないものは出来ません」
  中学3年に紋別中学校へ転校した時、修三は担任の先生に職員室に呼ばれ、そう言
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われたが、修三はすぐさま先生に口を返していた。
 (僕には運動の遺伝子がないのだ。かんたんに出来るものなら、あんたに言われなくて
もとっくにやっているよ)
  修三は生まれつき運動が「丸出だめお」だった。
  運動会でも徒競走はいつもビリケツ、キャッチボールをすると眼鏡で受け、跳び箱では
足を開かず転げ落ちる、子供スキーのジャンプでは小さなジャンプ台から転倒する、超
運動音痴である。もちろん泳げない。

  修三が広田支店長にゴルフを断って1週間後、事務所の修三のところにゴルフシュー
ズが3足届けられた。次長の机は支店長の左隣にある。
 「何だ、これ?」
 「お前のゴルフシューズだ、好きなの選べ」
 「しかし・・・・・・」
 「しかも糞もない、業務命令だ」
 (業務命令って言っても、金を払うのは俺なんだが・・・・・・支店長は言い出したら人の
言う事を聞かないから・・・・・・新参者は折れるしかないか・・・・・・)修三はついに観念し
た。
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  それから1週間すると、今度はゴルフクラブセットが送られて来た。
 「初心者だから、そんな物で良いだろう。金はここへ振り込んでおけ」
  広田支店長は一方的に宣告する。それでも意固地な修三はそれらを手にしなかった。
  ある日、同じ支店のゴルフの上手い若い松本君が支店長に呼ばれた。
 「松本、北山次長な、ゴルフ道具が揃っても練習しない、お前、次長をゴルフ教室へ連
れて行け」
 「はあ、しかし・・・・・・」
  松本君何と言って良いか分からず、支店長の左に座っている修三の顔を見た。
 「放って置いたらいつまでもやらないから、すぐゴルフ教室へ行って手続きをして来い、
練習は勤務時間に少しぐらいかかっても構わんから連れて行け」
  支店長の大きなだみ声は狭いワンフロアの事務所の隅々まで届いた。社員の誰もが
一部始終を聞いていた。修三は上司と若い部下の手前逆らう事も出来ず、苦笑いをする
しかなかった。
  実は修三は20代の後半の頃、山の手のゴルフ練習場に行った事がある。 勤務を終
わってから、職場の先輩に連れられて行ったが、この時はボール40個打って、かすった
のが5個、それも地面に転がっただけであった。
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第11話 俺ぁこんなゴルフ嫌だ  その1 ★
































           

         





























































































































































































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