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  そういう作戦だった。幸い兄の自宅のすぐ近くに自動車学校があった。鉄夫は何度も
落第し、若い人の倍も授業料を支払い、ようやく運転免許を取得した。大学生の息子もい
て自動車も買い何ヶ月か乗ったものの息子が軽い接触事故を起こして以来、乗ろうとし
なくなってしまった。
 「今乗らないと本当に乗れなくなるよ・・・・・・」
  会う度に修三はそう勧めたが、元来臆病な鉄夫は事故を起こす事を心配し乗らなく
なった。定年後、鉄夫は好きな碁や釣りをするでもなく、車に乗ることもなくだんだん酒に
溺れるようになっていった。
 (鉄夫は金夫の酒を若い頃から嫌っていたはずだが・・・・・・)
  修三はそう思ったガ、その鉄夫もどこかで堰が壊れたのかもしれない。

  鉄夫が最初の脳溢血になったのは、「地下鉄サリン事件」が起きた平成7(1995)年3
月20日の月曜日の朝であった。
 「おじちゃん、お父さんが当たったの。今、天啓会病院へ運んだの」
  午前8時、義姉の雅子から修三の自宅に電話が入った。雅子の声は元看護婦とあっ
て落ち着いていた。出勤前の修三は妻の須賀子とともに、自家用車で20分の距離にあ
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る天啓会病院へ向った。
  兄鉄夫は3階の集中治療室にいた。
 「2、3日前から歩く時よたよたしてたんだけど、今朝は特に様子がおかしくて・・・・・・救
急車を呼んで天啓会病院へ連れて来てもらったの」
  義姉の雅子は修三らの顔を見るとほっとした様子で経緯を話す。雅子が担当医から聞
いた話によると、鉄夫の症状は中位で手術をするほど緊急ではないが、言語障害や歩
行困難などの後遺症が残るとの事であった。これを聞いて2人は取敢えず「不幸中の幸
い」と安堵の胸を撫で下ろした。
 「飲み過ぎだから・・・・・」
  弟の修三は義姉に何とも言いようがなく言い訳のように呟いた。気丈夫な義姉の雅子
は修三夫婦に鉄夫を預け、京都の息子雅史と岡崎の娘登美子に第一報を入れるべく公
衆電話に向った。
  天啓会病院の待合室のテレビでは、「地下鉄サリン事件」の報道が休みなく続いてい
た。「地下鉄サリン事件」はこの日の午前8時過ぎに起きた。営団地下鉄の日比谷線、
千代田線、丸の内線の3路線、5本の電車にサリンが巻かれた。通勤客、駅員など12
人が死亡、5,510人が重軽傷を負った。都心は大パニックとなり、駅の周辺では道路
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にまで被害者が横たわった。パトカーや救急車、消防車、自衛隊の化学処理班が出動
し、東京のオフィス街は戦場と化していた。

  1週間経って鉄夫の症状がようやく安定した時、顔は右半分、首から下は左半分が麻
痺していた。右目も左目と連動しなくなってロンパリになり、元々鋭い目がさらに鋭くきつ
くなった。言語障害と左腕、左下肢の運動障害などが後遺症となった
  この病気の特徴ではあるが、自分の手足が思うように動かない、自分の思いが相手
に伝わらない鉄夫は四六時中イライラし、毎日義姉に当り散らした。残った利き腕で義姉
の身体をつねったり、物をぶつけた。義姉は「病気だから」と顔で笑っていたが内心では
困っていたに違いない。
  鉄夫は、元々何事にも自分の物差しがあって容易に人の言う事を聞かない性格だ
が、リハビリも先生の言う事を素直に聞かなかった。何故か子供のように駄々をこねてい
た。無様な自分の格好に腹を立てていたのかもしれない。あるいは治りたくなかったの
かもしれない。
  鉄夫の症状が快方に向っていた時、ふたたび軽い脳溢血になった。
 (だが、いずれまた良くなり自宅療養となる)
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  義姉の雅子はそう考え、毎日鉄夫の介護に通いながらも自宅の向かいのマンションに
部屋を借りて引越しし、30年住み慣れた自宅を解体し、平屋のバリアフリーの家を新築
していた。
  約2年が経って、鉄夫は杖をついてようやく歩けるようになり、何年ぶりかで新しい自
宅へ戻った。修三は休みの日には鉄夫の家へ時々顔を出したが、鉄夫は相変わらず
義姉の雅子の言う事を聞かず、トラブッていた。 
 (いくら大恋愛して結婚しても病気になるとみな同じか?義姉さんも寂しいだろうな?)
  修三はつくづく感じた。
  退院した鉄夫は酒はさすがに止めたがイライラはつのると見え、こっそり1人で杖をつ
きタバコを買いに行った。そして転倒し肩を骨折し、近くの新琴似の整形外科に担ぎ込ま
れた。
  鉄夫は2ヶ月ほどして退院したが、今度は食べ物を飲み込むのが困難になってきた。
ご飯に味噌汁をかけたり、麺類中心の食事にしたが結果ははかばかしくない。
  異常を感じた義姉の雅子がこれまで度々お世話になった天啓会病院へ無理やり連れ
て行き入院させた。
  鉄夫はそのうち食べ物をまったく飲み込めなくなった>。入院中に札幌医大へ通い精
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密検査をした結果、舌がんと分かり札幌医大へ転送された。

  また鉄夫の長い闘病生活が始まった。手術は脳梗塞を併発する恐れがあり、放射線
治療と抗がん剤の投与による治療しかなかった。首の下の方に穴を開け栄養剤や薬を
投入するようになった。
  それでも初めのうちは言葉が出せた。だが、そのうち病気が進行するにつれ、修三夫
婦が見舞いに行っても、鉄夫は不貞腐れたようにほとんどしゃべらなくなっていた。修三
が持って行った週刊誌を不自由な手つきで見ているだけである。
 「ウィスキー美味そうだな?」
  ある時、何も言わない鉄夫がぽつんと呟いた。修三が鉄夫の週刊誌を覗き込むとウィ
スキーの広告が出ていた。鉄夫は今後一切食べ物や飲み物を食べられないと覚悟して
いるかのようであった。
  病状が進行し、舌が肥大して窒息しないように喉仏に穴を開け酸素吸入を続ける。会
話は幼稚園の子供が使う白いボードでマジックで書いてするしかなかった。それもせっ
かちで急いで書くものだから、生来達筆の文字もにわかには判読出来ない。手が不自由
だから字も読みにくくなっていった。
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 (俺の文字が読めないのか?)
  鉄夫はそう思っては周囲に当り散らした。顔色もだんだん褐色になり、そのうち文字を
書く気力も体力もなくなっていった。
  お見舞に行く修三もだんだん辛くなっていった。それでも妻の須賀子に尻をはたかれ
毎週病院へ通った。こんな鉄夫を献身的に看病してくれる義姉に修三は「ありがたい、申
し訳ない」と思った。
  その鉄夫も最後は危篤で集まった孫達に囲まれてついに亡くなった。彼ら孫の記憶に
爺さんの恐ろしい形相が残ったに違いない。

 「何故、俺だけがこんなに痛い目に合うのか?」
  いまでも病室の一点を睨み必死に病気に耐えている鬼のような形相の鉄夫の顔が修
三の目に浮かんでくる。




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第10話 明日はわが身 その4 ★★★★
























































 

















































































          

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