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デジカメ千夜一夜

かんたん酒の肴

おじさんの料理日記

喜劇「猫じゃら行進曲」



小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

 「みんなイカの沖漬けのルイベ食べる?近所の魚釣りする人からもらったの、手作り
だから美味しいわよ」
  バー〈たまたま〉のママは北山修三ら4人が久しぶりに店に顔を出したので大はしや
ぎである。いつもよりハイで明るい。
  珠子ママは色白でグラマー、一見〈ちあきなおみ〉に似ている。
 「ちあきなおみに似ている」と言うと機嫌が悪くなるが、「ちあきなおみよりきれい」と言
うとすぐに相好を崩す。
  ここは飲食街すすきのの外れ、雑居ビルの5階で、7名ほど座れるカウンターと奥に
4名ほど座れるボックス席が一つある小さなスナックである。
  修三達はいつものようにカウターに座っている。
  今年の札幌は8月に入って気温が毎日30度前後の日々が続いていた。こんな年は
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珍しい。
  北国商事鰍ゥら北国農材鰍ノ再就職を前提に出向してきた者、出向が終わり再就
職した者、一行4人は会社の近くの居酒屋でビールを飲み、弾みがついてすすきのの
スナック〈たまたま〉までやって来た。
 (凍ったイカの沖漬け?今日のようにクーラーもあまり効かない暑い日には持って来
いの肴だ)
 「いいねえ、さすが・・・・・・ついでに日本酒ももらおうか?」
  修三はここではいつも焼酎を飲んでいるが、イカの沖漬けのルイベと聞いて、途中か
ら日本酒に宗旨変えを申し出る。
  張り切ったママは、 修三の目の前で肉がつき始めたノースリーブの二の腕を披露し
つつ、冷凍のイカを輪切りにする。
 (沖漬けにしてはちょっと色が白いな?)
  修三はそう思うが、切られたイカのスライスは4、5切れづつ四つの小鉢に盛り付け
られていく。
 「お醤油をちょっとかけると美味しいわよ」
  ママはカウンターの奥に座っている土屋営業部長から配っていく。
 「イカの沖漬けになんで醤油をかけるのさ?」
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  疑問に思った修三は、まだ醤油がかかっていない目の前の一切れを指でつまみ、
口に入れる。
 「これはイカの沖漬けでないよ、単なるイカのルイベだ」
 「魚釣りのおっさんは自分で漬けたって言ったわよ、美味しいでしょ?」
 「はらわたが生臭くて食べられないよ、おじさんはパス、日本酒も返品」
  修三は沖漬け(?)と日本酒を前へ押し返す。
 「うるさい人だねぇ、食べないの?もったいない、いただくよ」
  修三の左隣に座っている佐藤購買部長はすでに醤油をかけて一口食べており、修
三が戻した小鉢と日本酒を自分の方に引き寄せる。
 「なんも美味しいっしょ?」
 「お前は味が分からないの」
  六つ年上の修三が佐藤購買部長をにらむ。
  修三にしてみれば、イカの沖漬けのルイベでなくイカのルイベと言われれば、多少不
味くとも文句は言わなかった。 ただ汗をかいた暑い日に「イカの沖漬けのルイベ」と聞い
たから期待が大きくなったのである。

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 (日本語は正しく使ってもらわなきゃ)
  というのが修三の本音である。
 「北山部長は食べ物にいつでもうるさいよ」
  これまでのやり取りを黙って聞いていた鈴木企画室長が右隣でぼそっと呟く。鈴木
企画室長は現役時代修三と同じく苫小牧支店に勤務していた関係にある。

  血液型がA型の修三は時々つまらない事にこだわり、周囲を困らせていた。
  たとえば妻の須賀子が海外旅行から買ってきた高級ブランドのネクタイも、
 「芯がお粗末で首に絞めると下がよじれる」
  そう言って着用しない。
  本人は妻に腹を立てているわけでなく、高価なネクタイの作りがお粗末だと怒ってい
る。たいていの夫は、「ありがとう」と素直に絞めて歩くのだが、修三にはそういうところ
がある。

  だから、苫小牧の現役時代も鈴木君と一緒に飲みに行っては店の主人とよくもめ
た。
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 〈全国の銘酒揃い〉を売り物にしている飲み屋に入ってみると、焼き鳥か焼き肉料理
しかない。
 「日本酒の酒の肴なら魚のメニューがあってもいいのでは?」
  よせば良いのに修三が一言言うものだから主人の機嫌が悪くなる。
 (余計なお世話だ、これで客が来ているのだから、あんたなんか来なくてもいい)
  主人にすればそう思っているに違いない。
  そんな風に修三が店に行くと気になる事が目につく。
  またこれも現役時代、社長のお供で社長のお気に入りの女将が経営する高級料亭
へ行った事がある。その際も、一言やらかした。
 「これだけりっぱな料理を出すのだから、お漬物も手作りの物を出すと素晴らしいの
に・・・・・・」
  痛いところを突かれた女将は柳眉を逆立てて修三を睨み付けた。それ以来修三は
社長の覚えが悪くなったように思われてならない。
  修三には修三の理屈があった。
  修三は小さい時から絵を描き、現在は花の写真を撮っているが、その度に思う。
 「ここに木が一本あったら、空にたなびく雲があったら、もっと美しいのに・・・・・」
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 〈画竜点睛〉のように、もう一つ何かがあったらスパらしい物になる、と言うのが修三の
持論である。こだわりの原点である。

  戦中派は総じて食う事にこだわりがある。
  日本の戦中戦後は食糧難で、農家を除き一般市民は飢えとの戦いだった。ほとん
どの家は僅かな空き地に芋、かぼちゃ、とうもろこし、豆、ニンジン、大根など作れる物
は何でも栽培していた。」
  子だくさんの修三の家でも畑を作っていたが、それでも配給物資だけでは食べ物が
不足し、時には兄や姉達はデンブン滓(かす)をも焼いて食べたと言う。
  だが、末っ子の修三は多少大事にされていたとみえ、それほど、ひもじい思いをした
事はなかった。
  修三より五つ以上年上の戦中派は育ち盛りの時に食料が不足していたため、食う事
に格別執着を持ち、出たものは余すところなく、しかも大量に食べる人が多い。

  鉱山労働者の北山家の食卓と言えば、魚と野菜が中心で、鶏肉や豚肉が出るのは
盆と正月ぐらいだった。。
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第7話 男の料理  その1 ★
































           

         


























































































































































































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