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デジカメ あしたのジョー

る。
  修三は首のマフラーを頭から頬かぶりして進む。眼鏡に吹きつく雪を手袋でふきふき
慎重に突き進む。時々雪の吹き溜まりに出会い足を取られ転びそうになる。
 (万が一歩けなくなったら、近くの農家に辿り着いて助けを求めるしかない)とさえ思っ
た。
  30分も歩いた頃、左手に小学校の大きな黒い影が見えた。裏手に金夫の教員住宅
があるはずであった。
 (やれやれ、これで遭難しなくてもすむ)と修三ははやる気持ちを押さえ、金夫の住宅
の玄関の前に立つ。
 (電灯がついていない、もう寝たか?そんなはずはない)と凍える手で玄関の戸を叩く。
返答がない。
 (もう出て行ったのか?そんな馬鹿な)
  そういえば、学生のいい加減さで、引越しの日時も確認していないし、何日に手伝い
に行くとも連絡していなかった。
  修三は途方にくれた。
 (もう後戻りは出来ない、凍え死ぬだけだ。たとえ駅に戻ったとしても旅館なんかない。
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どうしよう?)
  吹雪は容赦なく修三を襲う。
 (そうだ、小学校には宿直の先生がいるはずだ)
  修三はあわてて大きな道に戻り、校門の向こうの灯り一つ見えない真っ暗な学校の玄
関を探した。
  雪は辺り一帯を覆い、かつ暗いため、どこが道か分からない。そのうちに修三は側溝
にはまってしまった。皮の短いブーツに冷たい水が入り、凍って痺れてきた。
  一刻も猶予出来ない。
  修三は暗闇の中必死で玄関を探し出し、大きな引き戸を思いっきりどんどんと叩く。
  しばらく耳を澄ますが、人の気配はない。
 (吹雪の音で宿直室に届かないのかも知れない)
  修三は寒さと痛さを堪え、力の続く限り戸を打ち鳴らす。
  そのうち遠くの廊下の電灯が点いた。
 (宿直の先生が気付いた)
  ほっとして修三の全身の力がすっと抜けた。
  吹雪の夜の10時過ぎである、先生は雪でかすむガラス窓の内側からいぶかるように
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懐中電灯をかざす。
 「夜分すみません。北山金夫の弟です。引越しの手伝いに来たのですが、もう出かけ
てしまったようで・・・・・・」
  修三は吹雪の音に負けないよう大声を上げる。
  先生は全身雪にまみれた修三を見て一瞬に事情を察した。鍵をはずし戸を開ける。
 「上がりなさい、その濡れた靴も持って」
  先生は修三を宿直室へ先導する。
  6畳くらいのその部屋ではルンペンストーブが真っ赤に燃え、その上の大きなやかん
が盛んに湯気を吹き上げている。中に入って修三は改めて礼を言う。
 「ありがとうございます、助かりました」
  宿直の先生は松木と言った。30歳前の若い先生である。
  先生は修三の話を聞きながら修三の濡れた衣類や靴を手際良くストーブの周りに並
べていく。修三はほぼ下着姿に誓い格好で暖を取った。
  松木先生は机の引き出しを開け、即席ラーメンを取り出した。
 「こんな物しかないが・・・・・・」
  それを丼に入れ熱い湯を注いでくれる。うまそうな匂いとともに湯気が周りに広がる。
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  修三は茹で上がるのももどかしく即席ラーメンをすすり込み、汁も残さず平らげた。
  寒さに打ちのめされた身体には何よりのご馳走だった。外と内から暖を取り、修三の
身体はようやく温まった、
 「ご馳走様でした」
 「もう遅いからそろそろ寝ますか?ちょっと待ってください」
  松木先生はそう言いながら懐中電灯を持って暗い廊下へ出て行った。
 (最後の見回りに行ったのかもしれない)
  修三がそう思っていると、10分もしてから、松木先生は入学式や卒業式に使う紅白の
幕を両腕に抱えながら帰って来た。
 「あいにく布団が一組しかなくて・・・・・・少し冷たいが、なにすぐに温かくなります。これ
にくるまって寝てください」
  松木先生はストーブの脇に紅白の幕を広げた。そして自分は開けっ放しにしてあった
奥の間の布団へ入っていった。
 (行き倒れにならなくて良かった)
  修三は外の吹雪の音とストーブの燃える音を聴きながら、疲れがどっと出て、いつしか
ぐっすりと眠ってしまった。
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  翌朝は昨夜の出来事が嘘のように晴れていた。
  朝日に輝く真っ白な光景が目に痛い。校庭内を見渡すが修三の足跡は跡形もなく雪
に覆われていた。
  学校から5分ほど離れた松木先生の借り上げ官舎で朝食をご馳走になり、修三はお
世話になったお礼を言って、別れを告げた。
  修三は小向駅へ向うが、もう金夫の引っ越し先の東藻琴や須賀子のいる紋別へ行く
元気がなかった。
  札幌へ戻ってすぐに松木先生に礼状を出したが、今になって修三は(あの時菓子折り
の一つも送っておけば良かった)と思った。

  昭和47(1972)年9月3日、修三の母トメが自宅で心臓麻痺を起こし亡くなった。
  満66歳だった。7人の子宝には恵まれたが、貧乏と度重なる病気に見舞われ、さん
ざん苦労した一生だった。
  母トメは札幌へ出てきてから不整脈が出てきて通院をしていた。
  1週間前の朝方にも心臓の機能が弱まり、チアノーゼを起こして死に掛けたが、同居
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していた鉄夫の妻雅子の応急措置で九死に一生を得た。
  結婚前北大病院の看護婦をしていた雅子がいなければ1週間前に死んでいたところ
である。
  母トメは自分の死期を察したのか、残りの1週間で近間に居る子供達の家を順番に
訪ねて歩いた。それが終ると安心したかのようにぽっくりと亡くなった。
  北山家ではこれまで葬式を出した事がない。父藤夫と3人の息子達も慌てふためい
た。
  父藤夫は長年苦労を共にした妻を失い、茫然としてまったく役に立たない状態である。
  遠軽にいる長男の金夫は、
 「鉄ちゃん、すぐ札幌へ向うけれども到着するまで時間がかかるから、よろしく頼むよ」
  と、両親と同居している札幌の次男鉄夫だけが頼りである。
  賢明な次男の鉄夫は、仁木町銀山に住む叔父さんの山田二太郎に連絡を取る。
  山田二太郎は父藤夫の妹末子の旦那で、銀山で農業をしていた。 鉄夫は山田叔父
さんに母トメの死を知らせ、葬式について相談する。北山家では北海道にいる親戚はそ
こしかなかった。
  叔父さんのアドバイスでまずは枕教を上げるためのお寺探しから始まった。そして勤
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第6話 母の仕掛け花火 その3 ★★★

































































































































































































































  

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