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忘れえぬ猫たち

デジカメ千夜一夜

かんたん酒の肴

おじさんの料理日記

喜劇「猫じゃら行進曲」



小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー
 「相子、澄子はどうしてる?」 
 「2人とも元気にやっているよ」
  次女の相子は鴻之舞鉱山労組の斡旋で国労北海道本部の事務員として札幌駅前の
事務所に勤めていたし、四女の利子は保母さんの学校へ通っていた。
 「鉄夫は?雅子さんは?」
 「仲良くやっているよ」
  金夫は相変わらず一方的にまくしたてる。
  ようやく修三のカツ丼が届いたが、金夫の銚子はすでに空である。
 「お姉さん、お酒もう1本ね」
  追加したそのお酒も修三がカツ丼を食べ終わる頃にはなくなっていた。
 「お姉さん、お勘定」
  金夫はそそくさと腰を上げる。
 「もう1軒付き合え」
  金夫が飲み足らないと思った修三は黙って後をついて行った。今度は4、5人入れるよ
うな小さな焼き鳥屋である。
  カウンターの端っこに隠れるように座っている修三に金夫は焼き鳥を取り、自分は銚子
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を2本取る。
 「もう1軒だけな」
  そう言いながら、そこの店でも銚子を2本だけ飲むと立ち上がる。誠にせわしない飲み
方である。
 (頻繁に勘定するのは、料金が心配なのか?1箇所で落ち着いて飲めば良いのに)
  修三は金夫と別れ、紋別行きの汽車に乗るべく遠軽駅へと向った。
 
  修三が高校三年の冬、いよいよ大学の志望校を選択する時が来た。
  修三は札幌の自宅から通えるようにと北大と札幌教育大を受ける事にした。ただし、
北大は模擬試験の結果ではすれすれの位置にあった。
  しかし、修三が本当に行きたかったのは金沢工芸大学であった。美術が好きだったか
ら東京芸大も考えたが、学科はともかくデッサン実技があるので望みがない。
  そこで考えたのがの金沢工芸大学だった。だが、合格しても学費と生活費の目処が
立たなかった。
  修三はやむなく金沢工芸大学へ行きたいと長男の金夫に相談する。
 「良く分かった、受験料と旅費は出してやる。ただし、合格した後は知らないぞ」
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  金夫は困った顔で答える。
  修三は合格後の学費と生活費の目処が立たたないまま、金沢工芸大学の願書を提
出した。
  ジェリー藤尾の歌「遠くへ行きたい」ではないが、修三はどこか家族のいない遠くの街
で生活したかった。
  ところが、年が明けた受験の年、昭和38年は裏日本が大雪で交通や通信が麻痺し
ていた。願書が届いているかどうかも分からない。届いたとしても大雪で金沢まで行け
るかどうかも分からない。修三は諦めざるを得なかった。
  この時、金沢に行っていれば修三の人生は大きく変わっていたに違いない。須賀子と
の結婚もなかったかもしれない。
  さて、結果として運良く北大に合格した修三が遠軽の金夫に電話で知らせると、
 「良かった、良かった。これで母さんも一安心だな」
  金夫が合格を喜んでいるのか、自分の負担がなくなって喜んでいるのか、分からな
い。
  しかし、その金夫も来札した際には、
 「背広でも買え」と3万円もの大金を置いていった。
  当時のお金でふつうの背広が2着も買える金額だった。
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 (金夫はケチだ)
  という修三の認識を変えざるを得ない出来事だった。

  金夫の酒がだんだんだらしなくなっていったのは、結婚後10年も経って網走管内の
辺地の小学校を転々とするようになってからである。
  修三が札幌の大学に通っていた頃、金夫は紋別の近くの小向小学校に勤務してい
た。遠軽ー滝之上線の小向駅から歩いて20分ほどのところにその小学校はあった。
  教員住宅は校舎のすぐ隣にあり職住接近の最たる例である。これが良くなかった。何
が原因か知らないが、酒の量がどんどん増えていったのである。
  もともと晩酌をしていたものが、昼休みに自宅へ帰って1杯ひっかけるようになり、つい
には朝食にも1杯やるようになっていった。
  当然日本酒では家計が持たず、焼酎を1斗缶で買うようになった。
  金夫の酒は性格そのもので明るくおとなしい酒である。人に乱暴したり、口論をしたり
といった、いわゆる酒乱ではない。多少饒舌になるがいつまでもニコニコとして際限もな
く飲むのである。
  そのため、飲み過ぎるとどこにでも寝てしまい、記憶がなくなる。そして失禁するので
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ある。
  金夫夫妻がたまに札幌の北山家に寄ると、金夫の酒に寛大な玉緒も姑のトメにこぼす
ようになった。
 「目の届くところで飲んでいるうちは良いのですが、何かの行事で外で飲むと、帰り道
道端で寝てしまうんです。側溝にはまりズボンがずぶ濡れになっても気が付かず寝てい
るんですから・・・・・・よく自動車に轢かれないでいますよ」

  修三が大学の3年を終えようとしていた3月の事、金夫の転勤が決まった。網走に近
い東藻琴小学校への転勤であった。
  幸い修三は学生で春休みでもあった。紋別の近くの小向まで引越しの手伝いに出か
ける事にした。
  修三は恋人の須賀子と別れたばかりで、(もしかするとどこかで再会できるかもしれな
い)という淡い期待があった。
  3月23日、修三は札幌駅午後2時発網走行き急行に乗った。
  午後8時頃には遠軽に着き、滝之上線に乗り換えると午後9時までには小向に着くは
ずであった。それで翌日の引越しには間に合う、そういう計算だった。
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  札幌を出る時には晴れていた空も、途中の上川駅を過ぎたあたりから、雪がちらちらと
降ってきた。
  蒸気機関車は石北峠をあえぎあえぎ登って行く。ようやく峠を越えると雪がどんどん
降っている。
  しかし、汽車は春先の季節外れの雪を物ともせず走り続け、午後8時には遠軽駅に着
いた。
  修三はそこで5分ほど待ち合わせ、滝ノ上駅行きのジーゼル車に乗り換える。雪は風
をともない斜めに降ってきていた。
  20分ほどで小さな小向駅に着いたが、降りたのは修三だけで、駅前の数少ない商店
も灯りが消えていた。
  道路の脇の街頭が吹雪の向こうにちらちらと見えるだけであった。50mも歩くと大きな
道にぶつかる。そこを左に折れ、2kmも歩くと小向小学校が左手にあるはずである。吹
雪は勢いを増していた。
  大きな道に出ると、人家もまばらで、その灯りも遠くにかすかに見えるだけであった。
まるで暗闇の道なき荒野を歩いているようであった。
  道を照らすはずの街頭も吹雪で見えにくくなっていった。だんだん体温が下がってく
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第6話 母の仕掛け花火 その2 ★★










          









































































































       

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