きれいな花の写真

忘れえぬ猫たち

デジカメ千夜一夜

かんたん酒の肴

おじさんの料理日記

喜劇「猫じゃら行進曲」



小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

 「1番線に福住行きの電車が到着します。危険ですから白線の内側まで下がってお待
ち下さい」
  さっぽろ地下鉄東豊線の札幌駅のホームでは北山修三のような勤め帰りのサラリー
マンやデパ地下で買い物をしたおばさん達が電車の到着を待っていた。
  その人ごみの中で先ほどから1人の老人が立ったまま前後左右に櫓を漕いでいた。
退職者と思しき穏やかな顔をしたその老人は顔が赤く、昼間からどこかでお酒を飲んで
来たらしい。
  老人は身体のバランスを崩し、何度も転びそうになりながらも、その度に目を覚まし、
起き上がりこぼしのように身を立て直している。
  周囲の人々も危険だと思いながらも、関わりになるのを恐れ、近寄らないようにしてい
た。
121


  間もなく電車がホームに入ろうとしたちょうどその時、その老人が一際大きく前につん
のめった。
 「おじいさん危ないよ」
  修三は思わず大声を上げ、おじいさんの右腕を捕らえた。
  もやっと目を開けた老人は照れ笑いを浮かべ、
 「ありがとう」と頭を下げた。
  そして修三に手を取られ電車に乗り込んだ。
  老人の手を放した修三が老人の姿を改めて見ると、こぎれいな夏服の普段着を着て
おり、長袖の右ひじが破れて血がにじんでいた。
  どうやら地下鉄のホームに着く前にどこかで一度転んで来たようだ。
  ふと修三の目に大酒のみだった兄、金夫の姿がダブった。

  長兄金夫は末っ子の修三より18歳も歳が上で、傍から見るとまるで親子のようであっ
た。修三も歳が離れすぎ兄貴という感じがしなかった。
  修三が鴻之舞小学校に入学した時、金夫はすでにその小学校の教員だった。尋常
高等小学校しか出ていない金夫は代用教員をしながら通信教育やスクリーングを受け、
122


ようやく教員の資格を取った。
  そんな負い目もあったのか、よく同僚を父親の狭い社宅に招き、酒を飲んだり麻雀をし
ていた。
  人口3,000人足らずの鴻之舞鉱山には娯楽が何もなかったと言っていい。あるとす
れば会社が1月に1回上映する映画くらいである。
パチンコ屋はなく、飲み屋も数軒しか
なかった。
  狭い街である、学校の先生が飲み屋に足繁く通うと噂になる。家庭麻雀しか楽しみが
なかったのかもしれない。
  この頃、北山家の長女三根子は近郊の町の商家にお手伝いさんとして家を出ていた
し、二男の鉄夫は札幌南高校の夜間へ通うために札幌へ出ていた。
  家には両親と長男金夫、相子・澄子・利子の姉3人、そして末っ子の修三の7人が住
んでいた。
  麻雀をする日は父親の夜勤の日である。
  麻雀は夜遅くまで続くから、母や姉たちはある程度時間が過ぎると一切かまわず放っ
て置いた。
  周りでちょろちょろ小学校の先生達を見ているのは末っ子の修三だけである。
123


  そのため、〈ボク〉と言うあだなの修三は時々小用を言いつかった。
 「ボク、一升瓶をこっちに持ってきてくれ」、「ボク、灰皿の吸殻を捨ててきてくれ」、「ボ
ク、窓を開けてきてくれ」、「ボク、蚊取り線香をつけてくれ」などなど。
  こんな体験から、修三は知らず知らず他人に気を使うようになったのかもしれない。
  麻雀もあまり遅くまでやられると家族はうるさくて寝られない。だんだん不機嫌になっ
てくる。
  初めのうちは好奇心で見ていた修三も小学校高学年になる頃には、
 (大人になったら、酒は飲まない、煙草は吸わない、学校の先生にはならない)
  と思うようになっていった。 この三つの誓いのうち、今でも守っているのは学校の先生
にはならなかった事だけである。
  金夫はこの頃20代後半で独身だったから酒の飲み方も良く、あまり酔っ払うという事
はなかった。

  修三は金夫からお小遣いをもらった記憶がない。金夫は薄給のせいか、家計を助け
ていたせいか、お小遣いはくれなかった。
124


  修三は紋別高校2年の春休みに札幌北高校の編入試験を再び受けたが、またもや不
合格だった。
  札幌から紋別への帰り道、遠軽町に住む金夫に報告がてら寄る事にした。編入試験
については金夫がいろいろ情報を集めてくれていた。
  夕方遠軽駅で途中下車し、金夫の自宅に電話すると、
 「兄さんならまだ学校にいるわよ」
  義姉の玉緒がその小学校の電話番号を教えてくれた。
 「そうか、今すぐ行くからそこで待っていろ」
  春休みに学校に出勤していた金夫は柄シャツでほどなく遠軽駅にやって来た。
 「先生方に聞くと、札幌の道立高校の編入試験は希望者が多く、何10人に1人しか入
れないそうだ。そんな事で気落ちしていかんよ。それよりこれから紋別へ帰っても飯がな
いだろう、たまに飯でも食うか?」
  春休みでいっしょに札幌の自宅へ帰省した義姉の澄子はまだ札幌に残っていた。
  編入試験に再び落ちた修三は札幌の自宅に居辛くなって、受験勉強を口実に姉の澄
子より先に紋別へ帰って来たのである。
125


  2人は駅を出て、食堂や飲み屋が4、5軒並んでいる右手の中小路へ入っていった。
春の夕暮れは早い、いつしか辺りは暗くなり灯りがついていた。
  どこからか渡辺マリの「東京ドドンパ娘」の歌が流れてくる。金夫はメニューが何でもあ
りそうな大衆食堂の暖簾をくぐる。
 「ボク、好きな物何でも食べろ、兄さんは酒を飲むから」
  修三が小さな手書きのメニュへを見て迷っていると、
 「カツ丼がいいか?」とさっさと決める。
 「おねえさん、カツ丼一つ。それに日本酒1本、早く持ってきてね」
  金夫は相変わらずせっかちだった。酒の肴は頼まない、お通しだけで酒を飲むのだ。
 「父さん母さんは元気だったか?」
 「父さんは仕事が変わったばかりで、大変そう」
  鴻之舞鉱山を早期退職し、札幌へ出た修三の父藤夫は都会に慣れぬまま職業安定
所へ通い、街中のとある病院の雑役夫として雇われていた。坊主頭の毛が見る見る薄
くなり、白髪も目立つようになっていた。
  金夫は割烹前掛け姿のおばさんが運んできた銚子とお猪口を手に取るなり、自分で
酒を注ぎ、そそっかしく口に流し込む。修三のカツ丼はまだ来ない。
126

タイトルイメージ   タイトルイメージ 本文へジャンプ



第6話 母の仕掛け花火  その1 ★
































           

         


























































































































































































前のページへ 次のページへ


トップページへ戻る