きれいな花の写真

忘れえぬ猫たち

デジカメ千夜一夜

かんたん酒の肴

おじさんの料理日記

喜劇「猫じゃら行進曲」



小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

 「あんた、このままじゃ年を越せないよ」
  妻の須賀子が朝起きて修三の右股を覗き大声を上げる。 
  夫の右股が熱を持って真っ赤に腫れ上がっていた。夫の右股はまるでスピードスケー
トの清水選手のように太かった。
  暮れも押し迫った平成13年(2001)年12月29日の土曜日、仕事納めの翌日の朝
であった。
  昨夜最後の忘年会を終えて帰ってきた修三は「どうも寒気がする」と言ってすぐさま寝
た。そして一晩中汗をかきながら痛みで寝返りも打てずに四転八倒していた。
  そのため妻の須賀子は朝起きるなり修三の右股を覗きこんだのである。
 「うん、どこかやっている病院があるかな?」 
  39度の熱に襲われた修三は返事をするのもやっとだった。
073


  この日は土曜日だから、病院も今日から年末・年始休みとなるところが多い。須賀子
はあわただしく階下へ降りて新聞の救急病院欄を探す。

  この年は修三にとって誠に忙しい一年だった。
  6月に北国商事鰍退職し、同時に今の会社の北国農材鰍ノ再就職した。そしてすぐ
さま前の会社の定年退職旅行で夫婦2人で台湾へ出かけた。
  9月10日にはBSE(狂牛病)が国内で初めて発生し、消費者、生産者ともに大混乱に
陥った。当然肥料を取り扱う北国農材鰍ノも多大な影響があり、牛骨粉入りの肥料の回
収に追われた。 
  また、翌9月11日には、アメリカの世界貿易センタービル他で同時多発テロが発生、
世界中が大パニックとなった。
 その興奮が冷めやらぬままに修三は慌しい年末を迎えた。
  12月中旬年末の挨拶回りで地方の代理店を回ったが、その後札幌へ戻ってからも
毎日会議や打ち合わせが続いた。そして夜は夜で忘年会や麻雀が続いた。
  そのため昼夜座っている事が多く、お尻(右股)は熱を持ったまま長時間圧迫されてい
た。
074


 「何か痒いな?」
  修三は一週間前から、右股の付け根近辺がうずうずと痒いのに気がついていた。睾丸
の右脇約8cmのところである。
  手で触ってみると豆粒大のしこりがあつた。修三は顔や首に出来るこぶの中身は脂肪
の塊だと聞いていたから、それ程気にしていなかった。ところがそのしこりが日を追うごと
に少しずつ大きくなり、痛みを伴うようになってきた。
 「ちょっと痛痒くなってきたな」
 「あんた、忘年会止めたら?」 須賀子は修三に会社を休むように勧める。
 「常勤役員会議もあるし、夜はお客との忘年会だから休むわけにいかない。年末年始
の休みになったら治るよ」

  再就職したばかりの修三は取り合わない。痛痒くなっても毎晩酒を飲んでいたから痛
みが紛れていた。だからこんなに大事に至るとは考えても見なかったのである。
その付
けがとうとうやってきた。
  最初は豆粒大であったしこりも、不摂生な夜を過ごすうちについにはトマト大になり、
真っ赤に熟れてきたのである。
 「駅裏の藪下外科だって」
075


  階下から須賀子が救急病院の名前を告げる。修三は病院の名前が気になったが、2
人はそそくさと顔を洗い、朝ご飯を食べる。修三は妻の運転する車に下肢がふれないよ
う気をつけながらやっとの事で乗り込んだ。道すがら修三の右股はちよっとした振動に
も反応して痛んだ。、

  藪下外科は駅裏の斜め通りの古い建物がごちゃごちゃ並ぶ一角にあった。その病院
は入院ベッドもないような木造モルタルの小さな病院であった。病院の建物はすでに減
価償却し終わったような年代物である。
  修三は嫌な予感がした。救急病院というのに客の気配はない。スリッパに履き替え、
受付をすると、事務員はとうに60歳を越えたようなばあさんである。
 「どうかしましたか?」
  めがねをかけた白髪の70歳代の小柄な爺さん先生とこれまた60歳代後半と思われ
るばあさん看護婦がゆっくりと近寄ってくる。
  まるでガリバーの老人の国(そんなの無かったか?)に迷い込んだようである。一瞬(
しまった)と思うがもう遅い。(おぼれる者はワラをも掴む)の類である。
 「右股が腫れまして」
 「どれどれ?」
076


  爺さん先生はしわだらけの手で痛む患部の周辺をあちこち触る。爺さん先生はしばら
く思案してから、
 「とりあえず湿布薬と痛み止めを出しますから、安静にして、正月休みが明けたら大き
な病院へ行ってください」
  と病名さえ告げられない。
 「後5日間も待てない、すぐに切開してくれ」と修三は喉元まででかかったが、ようやく
声を押し殺した。
 (こんなよぼよぼ爺さんに切られたらかえって怖い)と…… 
  こうして修三はいったん自宅に帰ったものの事態は何も変わらない、腫れは大きくなる
ばかりである。熱は上がる、頭はがんがん痛い。座っても横になっても痛い、かえって悪
くなるばかりであった。
  翌30日の日曜日、ついに見るに見かねた妻の須賀子は結婚後産婦人科で事務をし
ていた経験から、
 「産婦人科と同様に外科は急患を受け入れるはずよ」
 と電話帳のイエローページをめくり始めた。
 「北38条西8丁目のメモリー形成外科の広告に『急患を受け入れます』と書いてあるわ
077


よ」
  一瞬、暗黒の天空から一筋の光が差し込んだようであった。そこは新婚時代2人が1
年間過ごしたアパートの近くだった。これだけで2人はもう出かける気になった。
 「お父さん、行こう行こう」
 「よし、行こう」
  今年の年末は雪が少なく、道路は乾いて走りやすく、車は西野の自宅から30分程で
メモリー形成外科に着いた。
  メモリー形成外科は昨日の藪下外科とは違い堂々たる構えである。待合室に入ると
日曜日にもかかわらず、治療を待つ患者が7、8人いた。
  修三は1時間以上待たされてから、新藤先生の治療室へ呼ばれる。
  中に入って修三は驚いた。先生はインターンとも見まがうようなうら若き女医さんだっ
た。紙は短髪で透き通るような白い顔に賢そうな鋭い目が輝いていた。
  スリムな身体の白衣の左胸ポケットにはボールペンが刺さっていた。まるで天草四郎
のような凛々しい女性だった。
  思わず修三は痛みを忘れ新藤先生の顔に見惚れていた。
 「どうしました?」
078

タイトルイメージ   タイトルイメージ 本文へジャンプ



第4話 もぐらたたき  その1 ★
































           

         



























































































































































































前のページへ 次のページへ


トップページへ戻る