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デジカメ あしたのジョー
  2人は早速紅い胡蝶蘭を8鉢買う。花を根元から切り、株だけにして明後日空港へ届
けてもらう約束をする。

  午後は故宮博物館を見学する。
  ここに陳列している貴重な文化遺産は、元々北京の故宮にあった物だが、満州事変、
日中戦争の戦火や略奪を逃れ南京他の地方に移された。
  第二次世界大戦後南京に集約されたが、国民政府と共産党との内紛が激化し、これ
らの文物は再び破滅の危機にさらされた。  国民政府は文化価値の高いものを優先し
て台湾へ移送した。それらの一部がここに展示されている。
  平日のせいか見学者の数が少なく、それらの品々を間近にゆっくりと見る事が出来
た。
 「他所ではちょっと見る事が出来ない貴重品ばかりだ」
  北京の故宮に行った時見学者が多く中に入るのを諦めた修三が感心する。
  この後は辛亥革命・抗日戦争などの戦没者を祈念する忠烈祠を散策するが、相変わ
らず気温は高い。

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  秦ガイドさんは日本の植民地時代日本の教育を受けたようで、誠に礼儀正しく静かで
ある。口数が少ない2人の旅行にはうってつけのガイドさんだった。
  しかし、秦さんも今日と明後日限りである。明日はパックツァーを1日延長したため、別
なガイドを手配てしまった。
 (2人だけのツァーと分かっていれば、引き続き温厚な秦さんに頼んだものを・・・・・・)
と、2人は後から思った。

  4日目のガイドは陳さんと言った。浅黒くずんぐりしている。
  陳さんも秦さん同様、第二次世界大戦前から台湾に住んでいる本省人で、ずっと以前
に福建省や山東省から台湾に入って来たらしい。
 「俺達本省人は外省人とは違う、俺達の方が本流だ」
と、暗に言っていた。
  政府、経済、軍事を牛耳っている外省人に対する本省人の反発は強いようだった。
  陳さんは昨晩の打ち合わせで、今日は蘭ガーデンを案内すると約束してくれたの
に、今日になってそこは閉鎖しているとの事。須賀子ががっかりする。陳さんはアルバ
イトなのか、情報収集と確認が杜撰(ずさん)である。
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  しかし、今更ガイドを変更出来ない、仕方なく修三は台北の北海岸を案内してもらう事
にした。

 「北山さん、途中、金山郷の金宝山にテレサ・テンのお墓がありますから、そこにご案
内します」
 「えっ、テレサ・テンのお墓があるの?」
  須賀子は喜び、機嫌を直す。
  修三は団塊の世代の後輩達がカラオケで「つぐない」や「時の流れに身をまかせ」 な
どを歌っているのをよく見ていたが、結婚して何年にもなるのに妻の須賀子が彼女のファ
ンであるとはついぞ知らなかった。
  北へ向う車はいつしか左のわき道に入り、ゴルフ場のような坂をゆっくり登って行く。小
高い山と山の間を潜り抜けると、急に視界が開け、遠くの右手の山腹に、色とりどりの瓦
に覆われた門塀つきの高級住宅街が現われる。
 「陳さん、すごいところに家があるね?」
 「あれはお墓の団地です」
 「えっ、あれがお墓?」
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  よく見ると立派な門がついたお墓である。近くによると小さいものは3坪から大きいも
のは5坪ほどもある。
  沖縄のお墓も立派だと聞いていたが、もっと豪華でカラフルである。
  これまで台北近くで見た住宅には一軒家が見当たらない。どんな町外れへ行っても高
いマンションしかなかった。ご先祖を大事にするだけでなく、そんな住宅事情も影響して
いるのかもしれない。

 

  テレサ・テンの墓はそのお墓の団地の入口にあった。
  立ち木の植え込みに囲まれた百坪くらいのお墓には、正面に洋風の立派な墓碑があ
り、左手にテレサ・テンの銅像が建っていた。そして彼女の歌が絶え間なく流れている。
  紅い胡蝶蘭で囲まれた横長の黒い大理石の墓碑にはテレサ・テンのカラー写真が埋
め込まれ、にっこりと微笑んでいる。
  その下には台湾語の名前と生存期間(1953〜1995)が刻んである。台湾での彼女
はあまりにも偉大で、遺体は火葬されておらず、土葬のままであると言う。
 「あんた、今日はこれだけで大収穫ね、帰ったら友達の三千代さんに教えて上げな
きゃ」
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 須賀子は興奮している。
  テレサ・テンが亡くなったのは平成7(1995)年5月8日である。
  この年は1月17日に阪神・淡路大震災があり、3月20日には営団地下鉄でサリン事
件があった。また修三が苫小牧支店から本社に戻った翌年である。
  テレサ・テンは1960年代から1990年代にかけて、東南アジアや日本で活躍し、「ア
ジアの歌姫」として大変な人気を誇っていた。
  しかし、テレサ・テンは国民党軍人の娘として生まれたため、中国大陸と中華民国(台
湾)の政治的狭間の中で翻弄され続けた。
  1989年6月4日、天安門事件が勃発した際、香港にいた彼女は中国の民主化運動
弾圧に抗議して、コンサートで民主化の実現を訴えた。しかし、中国政府の圧力を受け
たのか、その後表舞台から消えていった。
  天安門事件で挫折した彼女は本来の自分を取り戻すべく、タイのチェンマイでひっそり
と暮らしていたが、気管支喘息の発作のために亡くなった。
  同月28日、台北で国葬級の葬儀が執り行われた。世界各国から3万人ものァンが詰
め掛け、彼女の若すぎる死を悼んだ。
 「早く台湾の独立を認めて欲しい!」
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  修三は目の前の墓碑の愛くるしい少女のような顔の裏側からテレサ・テンの悲鳴が聞
こえるような気がした。
 
  2人はこの後「女王頭」など波にそがれた様々な形の奇岩が並んでいる「奇岩海岸」
へと向う。
  日差しをさえぎるものが何も無い岩だらけの海岸を30分も見て歩いたが、猛烈な暑さ
のためそうそうに引き上げる。
  昼食は2人のリクエストで海鮮料理店へ案内してもらう。その店は漁村の街外れの道
路沿いにあり、あまりきれいとはいえない平屋の家であった。
  その店の前を通りすぎ海岸へ降りて行くと、生簀に魚、海老、蟹、貝が足の踏み場も
無いほど並んでいる。
  2人は「そい」みたいな魚とうちわ海老とわたり蟹を買い求め、先ほどの店に持ち込む。
  店内は丸テーブルが四つあり、総勢38人が座れる広さである。有名な店とみえ、平
日なのに家族連れで賑わっている。
  隣の家族を見てやると、食べた魚の骨や海老の殻がテーブルに所狭しと氾濫してい
る。
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第3話 テレサ・テンの墓 その3 ★★★











































































































































































































































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