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ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー
  夫婦2人での旅行となるとなおさらチャンスがなかった。
  現役時代修三は曲がりなりにもラインの長をしていたから、なかなか長い休みが取れ
なかった。それが平成13(2001)年の退職後にようやく実現した。9年ぶりに2人で遠
出する旅行であった。
  前の会社北国商事鰍ェ例年4月57歳の永年勤続者に実施している夫婦同伴の国内
旅行は、今年の場合北九州であった。これは9年前2人で行ったコースと同じである。修
三はこれを理由に団体旅行を辞退して、代わりに旅行クーポンを貰っていた。
 「須賀子、6月に台湾へ行って来ようよ」
 「しばらく行っていないから、私、何だか億劫だわ」
  須賀子の海外旅行は5年前に娘達とハワイに初めて行った時以来である。
 「台湾なら、お前の好きな胡蝶蘭が見られるし、美味しい中華料理が食べられ、食事の
心配もないよ。それに飛行時間も短いし、時差の心配もない」
  修三は渋る妻を説得する。修三は修三で、仕事上中国へは何回も行っていたので、
同じ民族の台湾の暮らしぶりも見たかったのである。
  修三の度重なる説得で妻の須賀子もようやく行く気になり、結局パックツァー「グルメ
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台北4日間」を1日延長する事にした。
  6月に今の会社北国農材鰍ノ再就職してからすぐの計画で、修三は多少気が引けた
が、(今の会社で時間が経てばなおさら行きづらくなる)と、決行する事にした。

  こうして、平成13(2001)年6月17日早朝、千歳空港近くの駐車場に自家用車を預
け、午前7時50分発関西空港行きの全日空機に搭乗した。台湾へのフライトは関西空
港からの午後1時50分発エァーニッポン2131便である。
  ところが、千歳空港でも関西空港でも、同じグルメツァーの客らしき人影は見当たらな
い。不思議に思いながらも台北空港に降り立つと、ゲーリー・クーパーみたいに大柄で、
がっしりとした体格の老人が迎えに出ていた。
 「北山さんですね、ガイドの秦(シン)です」
 「お世話になります。よろしくお願いします」
  彼が差し出した名刺には、「東南旅行社 外人旅行事業本部ガイド 秦戴光」と日本
語で書いてある。
  年齢は70歳ぐらいである。年齢からすると日本の植民地支配の時、日本語を学んだ
と思われる。
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 「秦さん、我々の他に客はいないのですか?」
  修三は周りの日本人を見ながら尋ねた。
 「お客はお2人だけです」
  彼は2人で1個しかない大型のトランクを軽々と持ってさっさと歩き出した。2人は半信
半疑のまま彼の後について行った。なるほど、駐車場にはジープ大の4人乗りのワゴン
車が待ち受けていた。
 「2人で貸切だ、こんなツアーがあったんだ。これはラッキーだね」
  2人は今回の幸運を素直に喜んだ。
  この日は台湾最大級のホテル「来来大飯店」で一休みしてから、近くの雲華亭で上海
料理をいただくが、味は中の上だった。

  忙しいまま出発した修三は台湾についての下調べをしていなかった。修三は食後、ホ
テルで台湾の歴史を紐解く。
  台湾には紀元前1千年前からマレーシア・ポリネシア系の原住民が住んでいたが、1
7世紀半ばから中国大陸の漢民族が移住してきた。
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 彼らはオランダ統治時代から清朝統治までの2百年間 、お茶・砂糖・樟脳栽培の農
業労働者として雇われた。
  日本の植民地支配の後、第二次世界大戦が終わり、1949年には内戦で敗れた蒋
介石政府の官僚や軍人そして国民党員が大陸各地から亡命して来た。
  今でも中国大陸との確執は続き、大統領選挙では本省人(第二次世界大戦前から住
んでいる漢民族)と外省人(第二次世界大戦後、蒋介石の国民党とともに入って来た漢
民族)との争いは絶えないようである。

  翌18日は、台北の南約30km 離れた山村、少数民族の村、鳥来(ウーライ)へ向
う。気温34、5度の暑さの中、滝と民族舞踊を見る・
  秦ガイドによれば踊っているのはタイヤル族ではなく、別な部族との事、世界中どこの
観光地も同じである。
  帰りは、1両4人乗り5両編成のトロッコで渓谷沿いの軌道を7分ほど下る。まるで映
画「インデイ・ジョーンズ」の世界だ。2人とも久し振りに童心に帰ってはしゃいだ。
  市内に戻り、台湾でいちばん古い寺である龍山寺と蒋介石総統を偲ぶ中正記念公園
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を見て回る。
  街中を走ると台湾には国産車がないせいか、外車ばかりである。でも庶民には高嶺の
花と見え、オートバイが自動車の間を縫って走る。
 「あらあら、見てご覧、5人乗りよ」
  ハンドルを握るご主人の間に幼子が2人、後部座席にはもう1人の子供を背負った奥
さん、都合5人乗りのオートバイが2人の車の脇を通り抜ける。

  オートバイを所有しているだけあって、5人の身なりは貧しくない。やはり、中国本土よ
り所得は高いようだ。
  秦ガイドによると、台湾の大卒の初任給は日本の約8割くらいとか、東南アジアでは
かなり高い方である。
  台湾大学は<さつき>のような生垣が張り巡られている。その周りには大学生の通学
の足である何百台ものオートバイが隙間無く整然と並んでいた。
  途中、庶民の市場でライチやスターフルーツを買うが、秦ガイドが買っても外人価格で
あった。
  2人はそれをホテルへ帰ってから冷やして食べた。
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 「あのライチはこれまで食べた中でいちばん美味しかった」
  果物の好きな須賀子は今でも言っている。

  3日目は秦ガイドさんに花の市場と蘭の販売会社を案内してもらう約束である。
  朝早く「台北花市」へ行って見ると、間口2間ほどの店が何列も軒を連ねる。赤や黄
の鮮やかな色の南国の花が店々に溢れていた。
  胡蝶蘭を見ると、紅い色を好む中国の国民性か、ほとんどが紅色であった。そう言え
ばホテルのロビーに飾っている胡蝶蘭も100%紅い色だった。

  近代的な自社ビルに入っている蘭の販売会社では100坪程の温室に案内されるが、
こちらもほとんどが紅い胡蝶蘭である。2人はあれこれ模様のつき方を見て歩いた。
 「ちょっとうかがいますが、日本へ持って帰れますか?」
 「消毒をして農業省の輸出許可を貰うから大丈夫です」
 「それと税関で引っかかりませんか?」
 「知り合いからお土産に貰った物と言えば大丈夫です」。
  その会社の案内人は過去に経験があるのか太鼓判を押す。
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第3話 テレサ・テンの墓 その2 ★★










          

































































































      

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