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小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

 「母さん、帽子が飛んだ、ボク取って来る」
  と言うなり、少年はぽんぽこ列車の最後尾の荷台から飛び降り、慌てて麦わら帽子を
追いかけた。 
  少年は帽子を取るなり踵を返して一目散に汽車に駆け戻る。
  ランニング姿の少年はぜいぜいと肩で息をして全身から汗を噴出していた。
 「はっはっはっ」 
  余程おかしかったのだろう、首に日本手拭いをかけ木綿の絣の着物を着た少年の母
親は、団扇の手を止めて、腹を抱えて笑った。周りの大人たちもつられて笑った。
  機関車の前の青空に真っ白な入道雲が立ちはだかり、北国にしては珍しく朝から汗
ばむ陽気であった。
  オホーツクの短い夏の日の出来事であった。
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  昭和24(1949)年、北山修三が5歳の時のある日の出来事だったが、貧乏と病気に
あえぐ母トメがこのように屈託なく、腹から笑ったのはこの時だけであった。

  この私鉄は鴻之舞鉱山と紋別町を結んでおり、鴻紋軌道(別名鴻之舞鉄道)と呼ばれ
ていた。
  鴻之舞鉱山は、網走管内の紋別と遠軽と丸瀬布を結ぶ三角形のほぼ真ん中の山の
中にあり、どの町からも車で小1時間の距離にある。
  紋別は厳寒の流氷観光船「ガリンコ号」で知られ、遠軽は網走行きの列車が進行方
向を変える駅で知られている。
  鴻紋軌道は、住友鴻之舞鉱山が 昭和18(1943)年に敷設したもので、総延長28km
あり、紋別港へは円盤状の金銀銅の化合物(これを四国の別子銅山へ貨物船で運び、
電気精錬をして金銀銅に分離していた)を、紋別港からは鉱区拡張に使う資材、従業員
の生活物資などを運んでいた。
  この列車は4両編成で、先頭の客車、有蓋(屋根付き)貨車2両、無蓋(屋根なし)貨
車1両からなっていた。
  そしてこの列車は従業員や家族、近郊の人、沿線の住民をも乗せ、この区間の住民
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の重要な足となっていた。
  客車が満杯の時は最後尾の屋根なし貨車にも客を乗せていた。
  時速10km程度のスピードで、たぬきのお腹のような大きな煙突から時々「ぽーっ」と
気の抜けた汽笛を上げたので、少年たちは「ぽんぽこ列車」と呼んでいた。

  昨年あたりから同級生結婚の修三と須賀子はそれぞれ体調の衰えを感じていた。
  修三は感染性粉瘤(汗腺が詰まり細菌に感染する)で右股の付け根が晴れ上がり,2
度ほど切開、妻の須賀子は下肢に静脈が浮き出て、冷感を感ずるとともに足のこむら返
りを起こすようになっている。

 「あんた、そろそろ大月さんのお見舞に行かないと・・・・・・」
  ソファに寝そべってテレビを見ている修三に、傍らでアイロンをかけている妻の須賀子
が声をかける。この一言で修三は気が重かったけれども旭川までお見舞に出かける事に
した。
  旭川に住む三女の姉の亭主大月俊男が食道ガンになり、2月から入院していた。
  三女の澄子は、修三が紋別中学3年から紋別高校を卒業するまで、4年間居候させ
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てもらった4歳年上の姉である。
  澄子は、修三・須賀子の結婚までの経緯を十分承知しており、二人の何よりの理解者
でもあった。

  澄子の亭主大月俊男はすでに旭川地方裁判所書記官を退職していた。退職後、自宅
に隣接する家付き宅地を購入し、それを家庭菜園と自分の作業場にして、晴耕雨読の毎
日を送り始めたばかりであった。
  姉の話によると、今年の1月頃からご飯を食べると、ご飯粒が逆流するようになり、む
せていたと言う。 
  本人は病院が嫌いで自己診断で風邪と決め付け、風邪の売薬を買っては飲んでい
た。
 夫の症状が進行したため、見るに見かねた姉が旭川市立病院へ連れて行き、検査し
てもらったところ、1週間後に「食道ガン」と診断され、そのまま市立病院に入院してい
た。
  修三は旭川の義兄の見舞のついでに遠軽まで足を伸ばし、ご無沙汰している18歳年
上の長男金夫・玉緒夫婦をも見舞う事にした。
  金夫・玉緒夫婦もそれぞれ肺疾患、糖尿と病気持ちで入退院を繰り返していた。
  平成16(2004)年の5月、連休明けの木曜の夜であった。2人は土曜の朝に出かけ
る事にした。
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  幸い層雲峡の簡易郵便局のホテルは土曜にもかかわらず一部屋空いていた。
  修三は旭川の澄子と遠軽の金夫に連絡を取る。
  こうして2人は久し振りの遠出となった。

  約束の午後2時、旭川市立病院の病室へ行くと、姉の澄子はすでに病室に来てい
た。2人は食堂兼談話室で亭主大月俊男から病状と治療経過を聞く。 
  俊男は医者から聞いた事を図に書きながら説明してくれる。患部は食道の上部で気
管支との分岐点、したがって物を食べる度にむせていたとの事。
  今後は週に何度か患部に放射線を照射し治療していくと、俊男は喉のあたりを指差
した。そこには放射する位置が赤く印されていた。
 「放射線照射を5、6回やって様子を見るんだそうです」
  大男ながら気が弱い俊夫は元気を装い何でもないかのように二人に説明する。
 「しばらくしたら治るよ、治療、頑張ってね、また来るから」
  2人はそう言って、病院を後にした。

  層雲峡の簡易郵便局のホテルは層雲峡温泉のはるか手前の閑静な山の中にある。

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官営にしてはなかなかお洒落な造りであったが、今日明日と病気見舞いが続く修三夫
妻には温泉に来た開放感が沸かない。
  一夜明けた今日の天気は昨日に引き続き日本晴れである。
  ホテルを出て右へ走ると石北峠に至るが、遠軽は遠くなる。少し後戻りしていったん上
川町に戻り北見峠に向かう。
  途中から初めての上白滝道路に載る。将来は有料になるバイパスは一車線ながら、
アップダウンやカーブが少なく誠に快適である。

  車は白滝村を過ぎ、あっという間に丸瀬布町に到着してしまった。
  このままでは午前10時には遠軽町に到着してしまう。兄の金夫宅に行く約束は午後
1時だった。
  ふと道端を見ると「道道305号線 紋別丸瀬布線 鴻之舞方面」の道路標識があっ
た。
  修三の故郷、鴻之舞へ続く道だった。修三の心が揺れた。 
  修三は、生まれてから15年間過ごした故郷、鴻之舞鉱山を昭和34年に離れてから
これまで一度も訪れた事はない。
  室生犀星ではないが、「ふるさとは遠くにありて思うもの、帰るところにあるまじや・・・・
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第2話 銀色の道  その1 ★
































           

         































































































































































































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