きれいな花の写真

忘れえぬ猫たち

デジカメ千夜一夜

かんたん酒の肴

おじさんの料理日記

喜劇「猫じゃら行進曲」



小説「眠れない猫」

ベトナム四十八景

デジカメ あしたのジョー

  昭和38(1963)年の春、修三は運良く北海道大学に合格した。
  札幌北高校の編入試験に2度も失敗し、同級生達に笑われてから修三は一念発起し
た。田舎では予備校もなく、北山家ではそんな余裕もなかった。 このためラジオの大学
受験講座を毎晩深夜まで聞いて勉強した。
  高校3年の夏休みには、札幌の自宅から桑園予備校の夏季集中講座にも参加した。
  予備校の先生の授業は田舎の先生の授業より教え方が上手く、分かりやすく、面白
かった。その成果が現われたのかもしれない。
  紋別高校を卒業し、2人が札幌と紋別に分かれてから、修三と須賀子はお互いを強く
意識するようになった。
  その頃札幌から紋別へ電話しようにも修三の家には電話がなかったから、必然的に
手紙をやりとりするようになった。1週間に1度は些細な事も含めてその週の出来事を報
告し合った。
  修三は高校時代、特別奨学資金制度の試験に合格し、普通の学生より高額の奨学
金を支給されていたが、アルバイトにも精を出し、休みになると夜行列車で紋別まで須
賀子に会いに行った。
  狭い街である、人目につかないでデート出来るのは港か高台の紋別公園しかなかっ
013


た。2人は寒い風の吹く中そこいら中さまよった。
  須賀子は銀行の研修で札幌に来ると修三に会いに来た。
  研修の帰りで時間的にそんな余裕がなかったが、駅前の喫茶店でお互いの顔を見て
いるだけで幸せだつた。2人だけの時間を少しでも長引かせようと、札幌駅までな.るべく
遠回りして送った。
  何ヶ月かに1度会う度に、2人りは、
 (さすが女の子だ、化粧もしてきれいになったな)
 (修三さんもだんだん大人くさくなって、たくましくなった)
と感じ、いつも新鮮だった。
  須賀子が家族旅行で定山渓温泉の銀行の保養施設に来た時も、修三は定山渓まで
出向き一泊し、帰りの札幌駅まで同行した。
  その頃2人はお互いの家にも出入りするようになっていた。
  2人の交際について、須賀子の父次夫は男の子が現われて素直に喜んでいたが、母
の登志子は一人娘をよそ者に嫁がせたくないという思いもあり、全面的には賛成してい
なかった。
  また登志子は末っ子の修三に、世間知らずで、親離れしていない、ひ弱さを感じてい
014


たのかもしれない。修三は修三で、登志子について、自分の母親とは違う押しの強さに
ついていけないものを感じていた。2人は相性が悪いとしか言いようがなかった。
  途中、須賀子の父次夫から修三に対して、坂口家へ養子に入らないかという話があっ
た。これには修三の母トメが唯一の大学出の息子を手離したくないと言う思いで抵抗し、
結婚話は一時暗礁に乗り上げた。
  しかし、最終的には次夫が折れ、修三が就職したら2人を結婚させるとの了解が得ら
れた。2人の住む場所は札幌と紋別とで遠く離れていたが、しばらくは幸せな時間が流
れた。

  事件はそれから間もなくして起きた。
  2人の結婚を1番喜んでくれた、須賀子の父次夫が再び脳溢血で倒れたのである。ト
イレで倒れ意識不明のまま亡くなった。
  告別式の繰上げ法要が終ってから、2人は中河のおじさんに呼ばれた。中河のおじさ
んは登志子のいとこで紋別市役所に勤めていたが、須賀子の両親が1番信頼している
親戚である。
015


 「北山君、昨晩親戚縁者が集まって出した結論だが、次夫が亡くなって状況は変わっ
た。登志子を独りには出来ない、2人は別れるように」
  中河のおじさんは否応もなかった。
  須賀子は昨夜から言いくるめられていたのか、観念した様子で修三の目を見ていた。
須賀子の充血した大きな瞳からぽろぽろ涙が溢れていた。
  大人たちの前で二十歳の2人はあまりにも無力だった。
            
  そして2年と6ヶ月の歳月が流れた。
  修三が北国商事に就職して丸1年になろうとしていた。修三は須賀子の事を忘れよう
と他の女性と付き合ってみたが、駄目であった。独りになるとやはり須賀子の事を思い
出すのである。その頃、すすきのの飲み屋では伊東ゆかりの「小指の思い出」が有線で
流れていた。
  農業資材課に配属され数ある農薬の名前と効能をようやく覚えた3月末、修三は総務
課より「4月から総務課へ移り、当社で初めての社内報を発行するように」との内示を受
けていた。
 修三が高校時代には高校新聞、大学時代には大学受験誌の編集をしていた事を総
016


務課が記憶していたのかもしれない。
  総務課への内示を受け、落ち着かない日々を過ごしいていたそんなある日の事だっ
た。
 「北山修三さん、電話です」
 「もしもし?」
 「北山修三さん?私、相田美智子」
  事務所に初めてかかってきた女性の電話の主は、紋別高校の同じクラスの、須賀子
と親しい女の子だった。高校卒業以来久し振りに聞く懐かしい名前と声だった。
 「はい、美智子さんご無沙汰しています」
  相田美智子と聴いて、修三は何となく(須賀子の事とか?)胸騒ぎがした。しかし、平
静を装い返答する。
 「須賀子さんね、彼女間もなく結納が入るの」
 「はい?」
 (須賀子が誰かと結婚する?)修三の頭の中で蜂がぶんぶん飛び回った。
 「須賀子さんに頼まれた訳ではないけど、私は2人とも本当にこれで良いのか?と思っ
て・・・・・・」
  聡明な娘で知られていた美智子の声は落ち着いていた。
017


  周囲が聞き耳を立てている、それ以上詳しく聴く事も出来ない。
 「・・・・・・、ありがとう、考えてみます」
  修三は汗をかいて受話器を置いたが、頭が真っ白になり、どうして良いのか分からず、
仕事も何も手につかなかった。
  週末までいろいろと考えたが、自分が何をすれば良いのか妙案は浮かばなかった。
当然ながら、親・兄弟・姉妹、友達、同僚に相談する訳には行かない。
 (須賀子を諦めることは出来ない、とにかく紋別へ行って須賀子に会おう)
  金曜の夕、いったん家に帰った修三は、手持ちの小銭を確かめ、母親のトメに悟られ
ないようにさりげなく声をかけた。
 「母さん、友達と飲んでくる、泊まってくるかも知れない」
  しかし、トメは息子の話し方にいつもと違う何か胡散臭いものを感じていた。病気がち
で口数の少ない母親だったが、39歳で産んだ末っ子の性癖は誰よりも良く知っていた。
  修三は網走行きの夜行列車「急行大雪」に乗るつもりだった。
  お金の余裕もなく、普通席の窓際の席に腰掛け、遠くの街の明かりを見ながら、これ
までの出会いから別れまでの思い出をたどった。
018

          

タイトルイメージ   タイトルイメージ 本文へジャンプ




第1話 ラジオ深夜便 その3 ★★★


































































































































































































































  

前のページへ 次のページへ



トップページへ戻る