幼いころから漫画を読んでいたので、
本屋で見かけてついつい買った「手塚番
神の伴走者」(2018,06,11 小学館文
庫)です。これには漫画少年週刊誌の初
期の話も載っています。
週刊誌ブームに乗って、小学館から「少
年サンデー」と講談社から「少年マガジン」
が同時に創刊されたのは1959年の3月、
中学3年の春。まさしく事件でした。
少年サンデー創刊号の表紙は、時の
人 長嶋選手、漫画は手塚治虫「スリル博
士」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、藤
子不二雄「海の王子」など5本でした。
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少年マガジンの表紙は、横綱 朝潮、
漫画は忍一兵の「左近右近」、高野よして
るの「13号発信せよ」、山田えいじの「疾
風十字星」など5本・・・手塚治虫氏は「探
偵クイズ」の挿絵を描いているだけ・・・
その後の数年間の連載漫画をみても、
この時点で少年サンデーの圧勝でした。し
かし、サンデーとマガジンの売り上げ競争
は激しくなるばかり・・・
1960年代半ばに起きたのが『W3』事
件。虫プロが『W3』のTV放送に合わせ、
マガジンに『W3』の漫画連載をしたところ、
マガジンが『宇宙少年ソラン』の連載を決
定。怒った手塚は『W3』の連載をマガジン
からサンデーに切り替えたと言います。
1960年代末には、『天才バカボン』の
連載がマガジンからサンデーに突然移籍し
ました。両雑誌の確執なのか?はたまた
赤塚不二夫流の洒落なのか?おじさんは
未だに謎が解けません。(2018/10/26)
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