当初、このシリーズのタイトルを、「おじさんの徒然草」としましたが、改めて「徒然草」を読みなおすと鋭い洞察力と批評で、とても呑気な話をつづれないと反省し、結局「とどのつまり」と改題しました。
しかし、「徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、こころにうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂おしけれ」の心境だけはその通りです。
さて、本題に入ります。鴻之舞中学校の図書館では黄色の布で特別に装丁しなおした
新潮文庫がずらりと並んでいました。出版社で図書館用に文庫のハードカバーを発売し
ていたのか、住友鉱山が特別に作らせたの
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か、不明です。
ド田舎で刺激のない中学校生活を送っていたおじさんは、新潮文庫のハードカバーで
ある古今東西の名作をむさぼり食うように手あたり次第、借りて読みまくりました。たくさん読みがたいために、この頃からななめ読みをする習慣がついてしまいました。
大学生になって、文学部の友達と島崎
藤村の「破戒」について話していたら、彼は
「こんな話があったでしょう」と、一字一句間違うことなく復唱したのです。これには愕然
としました。おじさんは細かいところは何も
覚えていません。おじさんは単にストリー
を記憶していただけだったのです。
「嵐が丘」と「罪と罰」も、退職後に懐かし
くて再び買って読み直します。しかし、2作品
とも細かい情景描写が続き、3ページも読
むと疲れ果て、後のページは結局ななめ読
みしてしまいます。せっかちな性格だけは
変わりません。 (2016/10/12)
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