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  「王ジャパンが世界一になりました」
  北山修三はこの一声で目を覚ました。 
  気がつくと携帯ラジオのイヤホーンが耳に挟まったままである。寝ぼけ眼で壁のかけ
時計を見ると午前2時を少し回っていた。
  平成18年(2006)年3月22日の深夜であった。
  前日は春分の日で休日、札幌は彼岸荒れで外は春の吹雪、修三はする事もなく自
宅のソファに寝そべり、テレビのWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦を見
ていた。
  一昨日の準決勝戦で日本は韓国に6対0で圧勝し、日本国中が沸きに沸いていた。
今日はいよいよキューバとの決勝戦である。
  運動音痴でふだんプロ野球を観戦しない修三も、周囲の騒ぎにつられて今日は試合
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開始前からテレビの前にいた。小さい頃から野球の好きな妻の須賀子は食器洗いの手
を休めてはテレビに見入っていた。
  日本は8回の表まで6対3とキューバをリードしていたが、相手は優勝候補のキュー

バだけになかなか安心出来ない。
  案の定,8回の裏に6対5と追い上げられ、日本中の誰もがこの時点で「もはやこれ
までか?」と思った程である。 
  9回表に日本は4点を追加し10対5、いよいよ9回裏の守りに入った。
  この回、日本勢はキューバに1点を返されたものの押さえの大塚投手が健闘し、最
後の打者をスライダーで三振に打ち取った。
 「やったやった」
  妻の須賀子はいつの間にか修三の背後に立っており、手を叩いて喜んでいる。めっ
たに感情を表に出さない修三も思わず目頭が熱くなった。
            
  深夜の今、昨日のその感激がふたたび戻ってきた。
  この日はザ・ピーナッツの生みの親、宮川泰が死んだ日でもあった。
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  北山修三は間もなく満63歳になる。
  修三は北海道の中堅の商事会社北国商事株式会社に勤めていたが、5年前の57
歳の時退職勧奨を受け、北国商事の子会社で農業資材を製造販売する北国農材株式
会社に転職していた。
  その会社で修三は取締役総務部長として札幌駅前の雑居ビルにある本社に勤めて
いるが、再就職の年限はおよそ6年間と決められていた。
  間もなく毎日が日曜日の暮らしとなる。

  修三がNHKの「ラジオ深夜便」の存在を知ったのは数年前の事であった。
  夜中にふと目を覚まし本を読み始めたが眠くならない。いつもなら階下に下りて寝酒
を飲むところだが、明日(今日)は大事な会議があった。
  止む無く近くにあった携帯ラジオを手にして聞いてみた。
 「午前3時は懐かしの歌謡曲、今日は昭和38年のヒット曲の特集です」
  聞いていると、大学1年の時に流行った「東京五輪音頭」や「こんにちわ赤ちゃん」
などが次々と流れた。さらに視聴者の先週の感想が紹介される。
  NHKの「ラジオ深夜便」は老齢化社会を迎え平成2(1990)年にスタートしたが、
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今年で満16年になるという。

 (みんな夜中に起きているんだ、そしてご丁寧に投書もしているんだ)
  修三は自分が聞いている事も忘れ妙に感心していた。 
  そして、布団かベッドに横たわり暗闇でラジオを聴いている、日本国中のお年寄り
の姿を思い浮かべぞっとした。
 (老齢化社会が間違いなく進行している。間もなく毎日が日曜日となったら自分もそう
いう生活になるのか・・・・・・・)
  修三はつくづくそう思った。
          
  修三は子供の頃から人見知りで、神経質で、日中何か変わった事があると、神経
が高ぶって寝付かれなかった。その習性が大人になっても続いている。
  夜中に夢を見て目を覚ますようになったのは就職してからであった。
  修三は大学の卒業試験会場にいた。名前を書いて設問を読む。まったく勉強してい
ない箇所の問題が出ていた。
 「これじゃ、卒業できない」
  修三はがばっと目を覚ました。身体中脂汗をかいていた。
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  こういう夢を見る時は、決まって仕事がうまく行かなかった時や、上司と意見が合
わなかった時であった。
  修三は大学時代受験屋のアルバイトに忙しく、もともと単位はぎりぎりの数しか履
修していない。
  2年目後期の試験で棄権した「法学概論」を4年目の前期に再受験したので、これ
で単位は足りるはずであった。
  ところが結果を知らせる掲示板を見ると不合格である。修三はすぐさま教授の部
屋に駆けつけた。
 「先生、こんなはずはありません、問題は解けました。何かの間違いではありません
か?」
 「北山君、君は再受験の届けが出ていない。少なくとも法律を学ぼうとする者は手続
きを疎かにしてはいけない」
  教授はその一点張りであった。
  教授は無知な学生を諭したつもりかもしれないが、ギリギリの単位しか取っていない
修三には鬼畜生に見えた。
  それからは地獄であった。慌てて履修をしていない「会計学」のテキストを買い求め、
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一週間徹夜で勉強し、受験し、ようやく卒業出来たのであった。
  卒業試験問題が解けない、この夢はその後の人生で何か問題がある度に見る事と
なり、入社後10年以上続いた。
             
  当然の事ながら、目覚めた後は眠れない、夢だけではない、現実に難問があったか
ら眠れないのである。
  そんな時は本も頭に入らない。やむなく傍らに寝ている妻に悟られないようにそっと
ベッドを抜け出し、足音を立てずに階下に降り、眠くなるまでコップ酒を飲んだ。 
  眠れない時や夜中に目を覚ました時のコップ酒はいつしか修三の習慣になってしまっ
た。
  ところが夜中の酒は寝不足と重なり体力を消耗する。だから、修三は再就職してか
らは寝酒を極力飲まないように努めた。
  そして出来るだけ本を読むようにしたが、その頃始めたデジカメとパソコンのせいで、
目が疲れやすくなっていった。
 「ラジオ深夜便」の存在を知ってからは、修三は目を守るために極力ラジオを聴くよ
うに努めた。
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第1話 ラジオ深夜便  その1 ★
























           

         

































































































































































































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